micorunの自己紹介

前にバズった時の記録代わりの自己紹介と、普段考えていることを雑多に書いてます。

0G アカウントとプライベートが離れていく

去年にtwitterでバズった時は自分自身が注目されたかのように大喜びしましたが、それ以降はあまり自分自身という感覚はかなり薄くなってきていて「micorun」というアバターを操作出来る立場、という感覚に近いです。
言うなれば、micorunはゲームの操作キャラクターで、私自身はコントローラーを握っているだけ、というニュアンスです。


作品が一人歩きするのとは別に、アバターであるmicorunが何をしたら面白いか? micorunにどういう漫画や作品を提供して欲しいか?ということを考えながら少しずつ行動出来るようになってきました。
micorunを演じているという感じでもなく、アバターに対する思い入れも当然ありません。
ネットで誹謗中傷を受けたり、バカにされたりしても平気なのは、こういう面も影響しているのかもしれません。
スーパーマリオのゲームをやったことがあって、マリオのキャラクターが散々貶されても傷付いたりしないような感覚です。

 

私のような性格からすれば、「俺のプライドが許さない」とか「私カワイイ」とか、そういう強い自分を持っているのは羨ましくも感じます。しかし市場という観点からすれば、他人のプライドなんて知ったこっちゃないし、自分をカワイイと思っている人よりアイドルの方が可愛くて当たり前なのです。
特にネット上ではそれは顕著で、SNSの使い方の大きな分かれ目でもあると思います。


診断メーカーや流行のハッシュタグなんかは、やっている人は面白いのでしょうが、タイムラインを共有している人からすれば、興味も無ければ結果も面白くも何とも無いのです。
他にもソーシャルゲームの当たりを引いた画像や、アニメのリアルタイム実況など、やるのは個人の自由ですが、そういう呟きしかしていない見ず知らずの他人のアカウントは、客観的に見ればフォローする意味がありません。

最近は何万何十万リツイートというツイートも多く見かけるようになりましたが、一つのツイートで大きな閲覧数を得ることは容易になっても、フォロワーを増やす(価値あるアカウントとして認識してもらう)難しさは、さほど変わっていません。

多くリツイートされた時に爆発的にフォロワーが増えることはありますが、それでもアカウントとして価値が無ければ、その数値は流動的なものです。
フォロワーを増やすためにプライベートとアカウントを分けているというよりは「いつ誰が見ても良いアカウント」にすることを心がけています。


これを普通にやるとなると、大抵の場合SNS疲れのように、言いたいことも書けなくなり、SNSそのものを放置してしまうか、辞めてしまうことになると思います。
それでも続けるコツみたいなものは無いというか、そこまでしてやるのなら、別なことをした方が精神衛生上良いです。


私個人としてはtwitterが肌に合っていること、日本国内では広く普及していること、拡散や結果の繁栄が速いなど、やっていてメリットが沢山あるので続けています。

SNS疲れのようなものはあまり感じませんが、結構身近な友達が知らない間にフォローしていることが最近になって増えてきたので、発言には気をつけるようにはしています。
そのようなケースはフォロワー数に関わらず結構あることで、そういった点からもアダルトな内容、下品な下ネタなど、身近な人には見せられない内容は避けた方がいいと思ってます。

最初にバズった時に驚いたのは、何万個とある私の過去のツイートを、一日掛からずに全て読んだ人がいたことです。
何かツールを使ったのかもしれませんが、その執念というか集中力をもっと他のことに使えばいいんじゃ……と思ってしまいました。

 

0F お金持ちと実際に会った感想

お金持ちの中でも年収が高かったり、固定資産を多く持っていたりする人にも色々話を聞いたことがありますが、ほとんどの人が普通の人と変わらない生活、むしろ気苦労が多そうに感じることが多くありました。
絵の上手い下手と同じで、お金持ちも下から見れば大金を持っているように見えるだけで、当人たちはだいたいそれ以上の資産を持っている人たちに囲まれているので、あんまりお金持ちという実感は無いようです。
実感が無いままなら良いのでしょうが、一家庭の経済状況なんて株や為替以上に不安定で簡単に崩れてしまうものですから、一度揺らぐとその劣等感と同時多発する様々な問題で文字通り死ぬほど苦しいようでした。

 

「幸せの定義は人間関係が良好であること」という統計結果が出ていますが、私の知るお金持ちはほぼほぼ全員が家庭に問題を抱えている、もしくは抱えていた過去があって、うつ病アルコール依存症などといった精神疾患も患っており、とても幸せそうには思えませんでした。

 

ただ私の大学教授は特別で、他人の目など気にしない芸術肌の強い人だったのですが、相当稼いでいるにも関わらず最低限の質素な生活をしていて、性格もとても穏やかで親しみやすい人でした。
結局そうなると、いくら稼いでいるとか資産がどれだけあるかというのは関係なく、自分の芯をしっかり持っていて、周りに惑わされず素直に生きていれば自ずと理想の生活が出来るのかなぁと思いました。

 

 

そう考えると、私はtwitterのいいねやリツイートで夢を見れた気分で済んで良かったなぁ、と思います。
宝くじが当たった人の末路じゃないですけど、これで大金を稼いでいたら、私生活はおろか、自分の価値観や人格すらも変わってしまいそうに思えます。

 

別な記事で挙げた有名ブロガーのブログなんかも、金儲けと自身のプライドを維持するのに必死な感じで、それがコンテンツとして成り立ってしまう現状のネットってどうなの?と思います。
また、とある新人漫画家が有名出版社にひどい扱いを受けた内容を赤裸々に描いたマンガというものも以前ありましたが、そういう他者の愚痴や晒し上げみたいな内容で数字を得ようとするのは、自分の経験も含めて嫌だなぁと思ってしまいました。

 

そういう経験や価値観を目の当たりにしてから、私はマンガも私生活も好きなように過ごすようにしているのですが、そうしてからの方が以前よりも人に信頼されるようになりました。
マンガも「頭の良い人と悪い人」のように意図せず炎上してしまうことは今でもよくあるのですが、自分としては好きなこと思ったことを描いてるだけで、そういう風に描くようになってから、リツイートやいいねは一気に減ってしまいましたが、フォロワーは以前よりも増えるようになり、純粋に絵や漫画を好きになってくれるファンが少しずつですが増えてきました。


私生活も、以前は知り合いのライブにも行きたくないのに行ったり、演奏に参加したり、やりたくもないことをやっていた時よりも、行きたい時にだけ行く、そうじゃなければ行かないやらないみたいに、いわゆる下心の無い判断をするようになってからの方が、印象は良くなったように思えます。
無論、そういう態度を取れば嫌な態度を取る人もいますが、そういう人とはそもそも気が合わないということなので、去る者追わず、相手から離れていっても気にしないようにしています。


そうやって付き合う人を厳選していく(されていく)だけで、人間関係の悩みやストレスは大幅に減り、より一層信頼関係が強まっていきます。

 

0E ミニマリストなんて言うほどではない

物を持たない断捨離とか、何処でも仕事が出来るノマドとかいう言葉が一時期流行っていて、私も物は滅多に買わないし所有しなくなりましたが、別にそれがすごいとか特別だとは思わないし、時代に合わせれば当然のライフスタイルになると思ってます。


物欲もないわけでは無く、むしろフィギュアやおもちゃと言った反実用的なものが大好きなのですが、あんまり買う気にはなれません。

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収入も少なく不安定というのが大きいのでしょうが、それよりもアマゾンなどの通販は勿論、ヤフオクやメルカリなどを駆使すれば、大抵の物はいつでも手に入ることを知ってしまうと「欲しい時に手に入れればいいか」と思ってしまい、そうやって後回しにする内に買いたい欲が逸れてしまうことがほとんどです。


レア物や入手困難なものだと値段が高騰してしまいますが、それはそれだけの価値があるという証拠でもあるので、どうしても欲しければ値段に関係なく買いますし、高いなと思ったら自分にとってはその価値を見出せないというだけです。

0D やりたいことはいっぱいある

子供は嫌いなので絶対欲しくないですし、結婚も必要が無ければ極力したくない、というより結婚に夢を持っていません。
これが現代人の価値観なのかな、と思っていましたが、大学の同期や幼馴染は次々に結婚、出産していく人も多く、少子化と言えども今も昔もそんなには変わらないのかもしれません。
年齢を重ねれば重ねるほど、身内との交流や関わりは減っていき寂しさも増すのかもしれませんが、それでも独身でいくつになっても遊び歩いている人は何人も知っていますし、そういった人たちの方がいつまでも活発で若々しく、楽しそうな印象が個人的にはあります。

住まいや環境に関しても、広い家に住みたいとか、何処で暮らしたいという願望は無いです。インテリア全般に興味が無い他、住居や自分の部屋に自分の個性を見出すという発想が無いのです。
先日、大阪に旅行に行った時も、観光地をいくつか回っても何をしていいか分からず、終いには軽い熱中症になってしまい、近くのマンガ喫茶で寝て帰る、という旅費を無駄にするようなことがありました。
外国の方と知り合ったり、その場で交流を深めるパーティは好きですが、それらもわざわざ海外へ行ったりしなくても、身近で開催されているイベントに参加すれば十分満たせることです。

広大な土地を歩き回ったり、観光気分を味わいたいなら、オープンワールドのゲームやGoogleストリートビューの方が楽しいです。



なんだかこうやって書いていくと、夢も希望も無い人間に思われるかもしれませんが、実際はその逆で、やりたいことは常に溢れている状態です。ただそのやりたいことにお金がほとんど掛からないのです。

例えば私は大学で学んできたこともあり、クラシック音楽を演奏するのが好きですが、それも楽譜はIMSLPという著作権の切れた作曲家の作品がパブリックドメインのものなら、無料で個人利用することが出来ます。
演奏も誰かに聞いてもらいたいわけではなく、自己満足で弾いているため、演奏会を開く費用等は当然掛かりません。

楽器を所持することはお金が掛かるかもしれませんが、ヴァイオリンも普段はサイレントヴァイオリンを使用しているため、初期投資をすれば、あとはメンテナンス費用しか掛からないので、学生のアルバイトでもお釣りが出るくらいの値段です。
ピアノは楽器を所持するとなれば、大金が必要になりますが、私は普段の練習はDTM用のキーボードでやっており、それはAmazonで2万円弱で購入したものに、無料のピアノ音源を繋いで弾いています。


本物のピアノでの練習も勿論必要になりますが、そういった場合には市営の公民館やスタジオを借りれば、2時間1000円くらいで弾くことが出来るのです。
所有及び管理する手間と費用を考えれば断然お得ですし、月に一度借りればいいくらいなので、長期的に見ても出費は僅かなもので収まります。
道具へのこだわりが無ければ、音楽もジャンル関係なくほとんどお金を掛けずに出来る趣味になるのです。

 

絵やマンガも紙とペンがあれば出来ますが、効率やSNSとの相性を考えて、私は液晶タブレットとしても使えるiPad Proを購入しました。
決して安い買い物ではありませんでしたが、これも実家にあるいらないものをメルカリで売って、その稼いだお金で購入しました。

 

あとは本を読むことが好きなのですが、これも図書館を利用すればほぼ無料で様々な本を読むことが出来ます。
よく読む本は外国のベストセラーの和訳本や、脳科学の専門書が多いため、大抵の本は図書館に揃っています。
発売されたばかりの本で、どうしても読みたい場合は新刊で購入し、読み終わったらすぐにメルカリで売ったりもします。
マンガを描いておいてなんですが、マンガはほとんど読みません……。読むときは、中古で安くなった時に買い、読み終わったらすぐに売ります。

 

ゲームもよく遊びますが、最新ゲームで遊ぶことは少なく、一昔前のハードのゲームや、後継機が発売された時に古いハードを友人に譲ってもらい、一本のゲームを数ヶ月から半年ぐらいかけて遊び倒します。


あとは今年に入ってからルービックキューブやトランプの並び順を覚える遊びをやっていて、それもキリがないのでいつまでも遊び続けることが出来ます。

0C 人とはズレた価値観


美味しいものが食べたいとか、旅行やレジャーが好き、何かのコレクター、あるいは借金がある場合は、そんなこと言ってられずに稼がなければいけないのかもしれませんが、自分の価値観はかなり一般的なものとずれているという自覚があるのと、その価値観には倹約生活が当てはまりやすい理由というのがあるのです。

 

まず食事ですが、贅沢な食事がどうとか言う以前に、私は極度の偏食であるため、世の中に出回っている食材のほとんどを口にすることが出来ません。
高級食材なんて論外。焼き肉ですら食べたことが無いのです。
味覚障害では無いと思いますが、ドレッシングや複数の食材が混ざっていると、途端に味が分からなくなるため、味付けのない料理しか食べられない、というのが正しいのかもしれません。

もしも「食べたいのに食べられない」のでしたら、相当な苦痛を感じるのでしょうが、そもそも食に興味がないため、食に対する贅沢と言えば、季節のフルーツを食べることと、モスバーガーでチキンナゲットを食べるぐらいです。

「食べたことが無いから知らないだけだ」と、お世話になっている人に食事に誘われたことも幾度もありますが、高い牛肉を食べてもローソンのからあげクンの方が美味しいと思い、秘伝のスープを使ったラーメンを食べても、日高屋のラーメンとの味の違いが分かりませんでした。

 

『どれも同じじゃないですかあ!』のネタ画像のように、私にとって食事はオタクのコレクションぐらいにどうでもよく、全く分からない世界なのです。

「私も偏食だったけど克服した。だから貴方も克服出来るから食べましょう」と言ってくる人もこれまで何十人といましたが、私は克服したいとか偏食に対するコンプレックスは無いのでありがた迷惑でしかありません。いいから白米だけ食べさせてくれ、と言いたくなります。
二十代も後半を過ぎ、健康面や栄養価を真面目に考えなければいけなくなってきたので、興味が無くとも考えて食事を取るようにしてはいますが、値段が高ければ健康に良いわけでもないので、ますます質素な食事へと切り替わっていくように思えます。

 

自分の偏食に纏わる話をマンガにすれば、エッセイ漫画として描けそうなネタは沢山あるのですが、そういった病気や障害のようなテーマの漫画を描くと、何処から湧いてくるのか知りませんが、ともかく「私の方がひどい症状です」とか「それは発達障害です」みたいな人が来て炎上より悲惨な光景になるので、絶対描きたくないです。

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以前描いたネタがあるのですが、お蔵入りになりました。