14 絵柄を変えよう
私は楽天マリオカート動画をきっかけに、再び筆を持ち始めました。
しかしすぐには動かさず、再び考え始めました。
特に動画でヒットした時に感じたことは、マンガという媒体の市場も、見方を変えればニッチな市場になり得るということです。
日本では漫画を読んだことが無い人なんてほとんどいないでしょうし、日本といえばアニメや漫画と呼べるくらい、広い市場を持っています。
しかしこれが世界で見てみれば、マンガはどこの国にあっても、今でも多くのマンガは子供の読み物として扱われています。
また、同じマンガやアニメでも、美少女のような女の子は、ペドフィリア(小児性的嗜好)として、ポルノジャンルの一種と見られているのが世界的には一般的とも言われています。
たしかに美少女キャラクターやアニメは、性的な内容と無関係とは言えませんし、日本だってほんの10年前には、オタクの語源の一説にあるように、公には出来ない趣味の一つだったのです。
私が描くマンガも、性的な要素は無くても美少女寄りの絵柄で、万人受けするようなキャラクターではありませんでした。
世界に受け入れられるとまではいかなくても、せめて誰にでも見せられるキャラクターにしようと思い、絵柄も何もかも変えることにしました。
13 楽天マリオカートで二度目のヒットを記録する
『楽天の商品紹介ページが長過ぎるので、マリオカートで走ってみました』という動画をtwitterに上げ、それは昨年の漫画を軽く超えるリツイートといいね数を記録しました。
楽天の商品ページが長過ぎるので、マリオカートで走ってみました pic.twitter.com/t0p5S9IqVG
— micorun (@micorun) 2017年5月5日
これはただ思い付きで作った動画だったのですが、最初はただ長い商品紹介のページをスクロールするだけのアイディアでした。
しかしそれでは単なるクレームと変わりません。それをSNSを通して晒し上げたところで、改善されるとも思えません。
私は思いついたらすぐに行動に移すタイプなのですが、その時に限っては一ヶ月近く行動には出ませんでした。
楽天の商品ページを見て感じた不満を、どうすれば面白く出来るだろうか?
どうすれば多くの人に共感してもらえるだろうか?
思考は無意識にマンガを描いていた時の方向へと戻っていたのです。
そうやって考えた結果、長いページを道路に見立て、誰もが楽しんだことのあるマリオカートの人形を動かし、懐かしい任天堂64のBGMを背景に、レースで競う、という動画が出来上がりました。
この動画は、自分でも笑ってしまうぐらいに好きなように完成したので、出来上がった時点で自信たっぷりでした。
数字によって後付けされた自信ではなく、自分で認められる一つの作品を作れた本物の自信がありました。
そこで気付いたのが「自分の作った作品が好きでなければ、他人も好きになれない」ということでした。
12 やりたいことに集中する
漫画を描くことからは暫く離れて、その頃はともかく達成したいことをこなしていきました。
ルービックキューブを揃えること、
トランプ52枚の順番を暗記すること、
PS4のゲームにも没頭していました。
何の意味も使い道のない自己満足の世界に、ともかく集中しました。
そんなことをやっている最中に、あることに気付きました。
PS4のゲームには、動画を簡単にシェア出来る機能があり、簡単にYouTubeやtwitterにアップロードすることが出来るのです。
それまで趣味で動画編集をしていたので、私はゲームのプレイ動画を編集して、投稿をするようになりました。
グラビティデイズ2楽し過ぎるぞーー!
— micorun (@micorun) 2017年4月12日
0:47あたりの噴水スライダーがお気に入り pic.twitter.com/UFY8SFnmHe
ゲーム自体があまりメジャーなタイトルでは無かったので、閲覧数は少なかったのですが、自由度の高いゲームであることから、色んな動画を作り、アップロードするのが楽しくなっていきました。
そうやって投稿していくうちに、ニッチな市場でも工夫次第で有名になれることが分かりました。
しかしニッチな市場というのは、そもそも私はあまり好きではありませんでした。
これはクラシック音楽で大学在学中に感じたことなのですが、当時は現代音楽という、不協和音や不思議な曲が沢山ある時代を学ぶことに没頭していました。
そのような音楽を好むのは、端的にいって仕舞えば捻くれた考えの人が多く、ニッチであればあるほど、嗜好というものは歪むことを身に染みて感じていたのです。
全ての趣味嗜好がそうであるとは思いませんが、そうでなくても内輪受けのような雰囲気は、元々好きになれませんでした。
そんなことを思っている時、ある動画が浮かびました。
11 初心に帰り、描きたいものを描くようにした
喧嘩を売るような内容にしたり、過激な方向に進んでしまうのは、一種の壁のように思えます。
例えばプロがネットのサイトに依頼されて、記事やマンガを上げるのでは、そのようなことは起こらない(というより通らない)と思います。
しかし、アマチュアがネットで一から始めてどこかのタイミングで急にヒットを産んでしまった場合、そのヒットがはたして実力なのか時の運なのか、分からないのです。
それを確かめようとする行いが、そのような炎上劇を産んでしまうのかな、個人的には思います。
これは私が友達に教わった本質的なものに通じていて、ある日突然ヒットした経験をしたのは本人だけであり、他人からしてみれば、そのヒットは毎日流れてくるヒットした記事やツイートの中の一つにしか過ぎないのです。
つまり、多くの人にはそれは特別な出来事ではなく、次の日には忘れてしまう程度の話なのです。
ところが本人にとっては、突然テレビ番組に自分が招待されてしまったような、いわゆる脚光を浴びてしまったような強烈な経験が残っています。
ギャンブルでたまたま大当たりを引いてしまった感覚と同じだと思います。
偶然とは自分でも分かっていても、これが二度や三度続けば、もしかしたら実力なのかもしれない……そんな気持ちで、似たような行動を繰り返してしまうのです。
そうやって我に帰ることが出来たのは、一年ぐらい経ってからのことで、その頃には自信も何も無くなり、絵を描くことから離れていっていました。
それよりも、誰にも見てもらわなくていいから、描きたいマンガを描こうと思い、元々描いていた漫画を再開することにしました。
10 単なる勘違いだったのだろうか?
三週間ほどtwitterを開くのは控えていたのですが、その間はともかく今回の件で得た「分かりやすさを追及する」マンガを何本も作っていました。
再開してから何本かマンガを上げたのですが、最初の勢いは嘘だったかのように、そのマンガは人気を得ることが出来ず、ただアンチの中傷だけが寄せられる荒れた土地のようになっていました。
【マンガ】やりたいことが見つからない(1/2)
— micorun (@micorun) 2016年3月29日
選択のパラドックス pic.twitter.com/bipbIZArAO
その後も趣向を変えたマンガを何本か上げるのですが、結果は変わりませんでした。
また、同時に内容が悪い方向に進んでいることにも気が付きました。
悪い方向というのは「嘘や見栄を張ること」です。
私の知っているとあるブログでは、炎上マーケティングが有効に使われていて、特定のユーザーを煽るようなタイトル、内容の投稿を重ねたり、ブログのアクセス数やアフィリエイトによる稼ぎの自慢、さらには誹謗中傷を送ってきたアカウントの発言を堂々と載せて「殴られたら殴り返す」ようないわゆる「晒し上げ」のようなことをしていました。
私はそのブロガーの考え方には共感出来る部分があったのですが、そういう投稿が増えてきたのを見て、自然と遠ざかるようになった経験がありました。
しかし自分も同じようなマンガを上げていることを反面教師的に知ることになり、一度筆を止めることにしました。
特に危ないな、と思って上げなかったマンガは「援助交際を繰り返す少女が主人公のマンガ」でした。
過激で下衆なネタというだけで作っては、またあらぬ方向に勘違いされてしまう。終いには私自身が援助交際をしているんじゃないか?なんて疑惑を持たれたら大変です。
そのマンガは封印することにしました。
また、誹謗中傷を送ってくるユーザーに対しての自分の意見を描いたマンガもありました。
【マンガ】炎上した後の世界で、ファンの意見に答えたよ(1/2)
— micorun (@micorun) 2016年4月9日
実話なのか? pic.twitter.com/ijDJ2npAhO
これは先に言ったブログの「晒し上げ」のようなもので、これも金輪際辞めようと思いました。
そもそも誹謗中傷を向けてくる相手はノイジーマイノリティ、つまりかなりの少数派で、それに向けた言葉というのは市場も何もなく、口喧嘩を公開しているようなものになってしまいます。
他人の喧嘩を見て、格闘技のように楽しむ人もいるようなのですが、私はそんな人たちのためにマンガを使いたくないと思い、これも封印することにしました。
しかしこれは今だから冷静に言えることで、当時は数字を追いかけることに必死になっていて、何も間違ったことはしていないと勘違いし切っていたのです。