10年後にも価値を持つスキルについて --資格勉強は時間のムダ--
スキルというのは個人的に消耗品だと思っていて、それは時代が変わったからという理由もあるけれど、どちらかというと栄養素のようなもので、能力として備わるものではなく、経験値として蓄積されるものだと思ってます。
ホリエモンこと堀江貴文さんの本に『持っている資格やそれを取得するための期間は過去の物として捉えて、それに縛られずに今やりたいことに沿った行動をするべきだ』と書いてあり、本当にその通りだなぁ、と思いました。
資格の価値も常に変容するもので、昔は有利だったけど今はそうでもない資格、これから価値が無くなる資格というのは沢山あるわけです。
かといってスキルや資格を全捨てするわけではなく、むしろそれらは「付加価値」にした方がいいと思ってます。
付加価値と言っても「よし、それじゃあ弁護士の資格を活かしたユーチューバーになろう」と言った、強引なコラボレーションのようなことをする人も多くいますが、これはあまりオススメしません。
就職面接で例えてみますと、
・弁護士事務所
・ゲーム会社
という、異なった業種の会社があるとします。
この中で弁護士資格を活かせる仕事と言えば、当然これは弁護士事務所になります。
しかし、観点を変えてみます。
企業にエントリーする求職者で、弁護士資格を持っている人の割合で見ると、弁護士事務所という名ですから、弁護士の資格を持った人が多く応募します。必須条件であることがほとんどのはずです。
これはつまり「弁護士の資格を持っていて当然」ということになり、付加価値ではなく、ドレスコードのようなものになります。
ゲーム会社は弁護士と全く関係がないように思うかもしれませんが、付加価値という観点で見れば、この企業が視野に入ることもあるのです。
例えばゲーム会社の場合、その会社が『逆転裁判』のような、弁護士が活躍するゲームを開発していた場合、弁護士という資格を持っているというのは大きな付加価値になります。
これが逆に、ゲームを作れるプログラミングのような資格を持っていた場合、SEとしてゲーム会社に応募するよりも、弁護士事務所でデータ管理をするアプリの開発をする方が、企業にとっても価値ある存在になるでしょう。
しかし、そんな都合良く、尚且つピンポイントな募集は簡単には見つかりません。
つまり付加価値として資格を活かすというのは、逆説的であり、偶然の産物になることも多いのです。
○○○
僕は音楽大学でヴァイオリンを学んでいたのですが、卒業後もヴァイオリンの講師として働く気はありません。
親にも知り合いからも「勿体無い」と言われるのですが、習う側の視点からすれば、ヴァイオリンを習うことは、何処の音楽教室でもすぐに出来ます。
それも今では楽器としてのヴァイオリンも(一部を除けば)決して高価な物ではなく、ギターと同じように高校生のアルバイト代でも揃えられるくらい、手頃な値段です。
レッスンの会費だって、歌や他の楽器と変わりません。また、多くのプロのヴァイオリニストも、主にプロ志望や音大受験生のために、プライベートレッスンを行なっています。
そんな競争の激しく、かと言って割りの高くない仕事をやる気には、とてもなれません。
僕がよっぽど上手いヴァイオリン奏者であれば、その選択しか無いのかもしれませんが、そんな腕は持っていません。
しかし、先の例に挙げた「付加価値」としてのヴァイオリンというスキルは、大きく活かせる機会が多くあります。
ヴァイオリンにはいまだに「高尚なもの」「難しい楽器」「弾ける人が少ない」という印象が一般的で、希少価値と言えます。
この「一般的な印象」というのが重要なポイントです。
「私にはヴァイオリンが弾けないから関係ない」と思うかもしれませんが、あくまでこれは僕自身のスキルの話です。
これが例えば看護師の免許だったり、資格でなくとも得意なスポーツというだけでも、付加価値として捉えれば、希少性を大きく高めることが出来ます。
医療に詳しくない僕にとっては、看護師であれば「優しい」とか「ナース服」、スポーツが得意と聞けば「足が速そう」「身体が丈夫そう」と言うような、小学生レベルの印象しか持っていません。
ですが、もしも困ったことがあった場合、優しい印象のある看護師の人が相談相手の候補に挙がるでしょうし、急務や肉体労働が必要な場合、スポーツが得意な人に頼もうと思うはずです。
些細なことに思えるかもしれませんが、相手にこのような印象を持ってもらえる人数が増えれば増えるほど、その人自身の価値も高くなっていくことになります。
付加価値としてのスキルにおいて大事なポイントは、どんな資格を持っているかではなく、その資格をやスキルが一般的にどんな印象を受けているか、という点です。
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世間では「10年後にどんな仕事/職業が無くなるのか?」と騒がれていますが、それは誰にも分からないことです。
分かりやすい例で言えば、自動運転車が一般化されれば、タクシーの運転手という職業は無くなると言われています。
それがいつ実現されるか、という議論や予測をするのは無駄なことで、それよりも「職業としてのタクシー運転手がなくなった場合、それにどんな付加価値をつけられるだろうか?」ということを考えた方が、未来の仕事の変化にも対応出来るようになると思います。
この例で言えば、パッと浮かんだのは「美人の運転手」や「良い声をした運転手」といったタレント的な要素が、大きな付加価値を産むと思います。
乗り物というのは、多くの人が移動時間の短縮として利用しますが、中にはクルマでのドライブそのものが好きな人や、車内だと気軽に話が出来るといった人もいると思います。
そういうお客さんが求めるのは運転技術や最短ルートよりも、見た目の印象や話しやすさと言った、人間性の部分です。
運転技術や地図情報というものは、今後どう考えても人間より機械の方が性能が高くなります。一方で会話やコミュニケーションというものは、機械が人間を真似るにはまだまだ時間が掛かりそうです。
つまり、10年後にも価値を持つスキルというのは「人間性」ということになります。
この人間性を高めるには、必ずしも美人である必要や、コミュ力を上げる必要はありません。
これまで話した付加価値としてのスキルが、結果として人間性を高めるのです。
そして付加価値というものは、深まれば深まるほど、色んな分野を経験すればするほど、掛け算のように価値が高まります。
コンビニのアルバイトでは、どんなに働いても基本給に時間をかけた分のお金にしかなりませんが、付加価値は、種類が増えれば増えるだけ希少価値が高まり、唯一無二の存在にだってなれます。
持っているスキルを活かしてアルバイトをするより、沢山の遊びや体験をすることによって、付加価値のバリエーションを増やすこと。
これが未来に向けての、期待値の高い投資になるのです。
○参考にした本○
すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
- 作者: 堀江貴文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/03/16
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