賃金上昇や業務自動化では人手不足の解消にはならない!
日本で現在~将来にかけて大きな問題となっているのが、企業や店舗の『人手不足』です。
保育士や介護士、配送業などはニュースで度々報道されていますし、街中をあるけばスーパーもファミレスもコンビニも、アルバイト募集のポスターを大々的に貼っている店が目立つようになりました。
コンビニなどは特に近年利用客も増えているだけでなく、一人当たりの業務も増えたことから、賃金の上昇を希望したり、機械によるオートメーション化の導入を検討しているなんて話があります。
実際にローソンなどでは、オートメーション化の準備を着々と進めているようです。
○参考記事○
コンビニのレジ、ロボが会計 ローソンとパナソニック:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ12I6N_S6A211C1TI5000/
でも個人的には、賃金を上げても業務の自動化が進んでも、人手不足の問題はそう簡単には解決しないように思います。
・賃金上昇の弊害
コンビニのアルバイトは、その仕事量や種類の多さに反して、給与が低いと言われています。
安く雇われる理由としては様々な理由がありますが、その一つとして「誰でも出来る仕事だから」というのがあります。
実際、東京のコンビニなんかに行くと、日本語もままならない外国人がレジ打ちをやっている店がほとんどですから、あながち間違いではないのかもしれません。
賃金を実際に上げた場合どうなるのかと言うと、一時的に人手不足は解消出来るかもしれません。
ただ、例えば半径100m以内にコンビニ店舗が3つあったとして、その一箇所が賃金を上げたら、当然他の二店でアルバイトをしている人達は、そちらの店舗で働いた方が得だと考えます。
アルバイトですから、辞めやすい人から辞めていきます。新規でアルバイトを始めようとする人も、時給の高いコンビニへ行きます。
経営者は同じように賃金を上げるか、残った人手で何とか切り盛りするかの二択を迫られます。
しかし、人手が減って売り上げが下がることはあっても、人手が増えて売り上げが上がることはなかなかありません。
というより、売り上げは立地や駐車場の有無など、経営よりも土地などの影響の方がよほど大きいです。
賃金を上げられない店舗は働く店員がいなくなり、結果として営業が続けられなくなってお店を畳むことになります。
というか、今現在起こっている人手不足の問題がこの通りになっているんです。
就職氷河期ならまだしも、今はバブル期よりも高い有効求人倍率になっている、なんてデータもあるんです。
○参考記事○
有効求人倍率1.63倍 7月、求職者減り高水準続く:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL30HMA_Q8A830C1000000/
また、店舗数が減れば、当然利用客は既存の店舗に流れるようになります。
例えば3店舗合計で1日あたり200人が利用していたとします(数字は仮のものです)
1店舗平均66.6人だったのが、店舗が減るごとに上がっていくため、1店舗の売り上げは確かに上がりますが、それに比例して1時間あたりの労働量も増えます。
分業出来るような仕事ならまだしも、コンビニアルバイトのように、一定以上は人を増やしても意味がない(むしろ効率が悪くなる)仕事は、一人当たりの労働量を増加させるしかありません。
たとえ沢山のアルバイトを抱えていたとしても、労働量的に長時間や何日も続けては働くことが出来ないとなると、結局のところ、時給は上がっても月単位や年単位の収入はそんなに変わらないことになってしまいます。
無理してでも長時間働けるのは若い人の特権かもしれませんが、そういった人達は大抵学生やフリーターなので、平均勤続年数は低いため、要は店員が流動的ということになります。
そのため、経営者は店舗の売り上げが上がっても、新規のアルバイト採用や研修、管理などに追われることになるので、店員と同様に売り上げの分だけ労働量を増やすことになります。
つまり、
賃金(売り上げ):上昇
労働量:上昇
これって、状況は何も変わっていないんです。
・自動化すると、何が変わるのか
レジの自動化は中国のコンビニや、Amazonが手がける実店舗などで海外では既に導入されています。
日本国内でも、遅かれ早かれそういった店舗が増えていくのは自然の流れと思います。
コンビニ業務が自動化するというのは、単純に言ってしまえば「コンビニが自動販売機になる」ということです。
自動販売機になるということは、それまでの人権コストがいらなくなるだけでなく、店舗の大きさも縮小できるということになります。駅のキオスクなんかが分かりやすいかもしれません。
1つのお店が小さくなれば、開業リスクが下がりますので、今まで土地の広さや立地が理由で展開できなかった場所にもコンビニを建てることが出来ます。
利用者にとっては前より近くにコンビニが出来るのは便利なことです。
また、地主なんかも余らせていた土地を有効活用出来るので、投資材料の選択肢にもなります。
とはいえ、開業リスクが下がるということは、それだけ他の店舗も多くなるということです。
フランチャイズ店舗のコンビニは、他店との大きな差別化はなかなか出来ません。また自動化を主とした店舗であれば尚更です。
そうなると、ゲーム理論で言う「ナッシュ均衡」という現象が起こり、単純に言えば「100mあたりの売り上げが店舗ごとに均等に振り分けられる」結果になります。
店舗数が増えれば増えるほど、1店舗あたりの売り上げは下がっていきます。
先ほど書いたように、売り上げは経営よりも立地や環境に左右されるのですから、当然経営出来ないお店が出てきます。
1つのお店が潰れても、開業リスクは低いのですから、土地があればまた別な店舗が産まれます。
そういったように、店舗を経営するのではなく「店舗を何処に設置するか」という競争になってしまい、最終的にはどのお店も売り上げが最低限しか稼げない、という状況に陥ってしまうと考えられます。
また、オートメーション化と言っても、いきなり全ての業務が自動化できるわけではありません。
そのため、店舗数が増えれば増えるほど、機械では対応出来ない人の仕事は増えることになります。
例えば商品の配送業務は、まだ完全自動化するまで時間が掛かると思われます。
そうなると、配送業者の人は、何店舗も回らなければならなくなります。
そして配送業も深刻な人手不足となっています。
このようなことから、自動化して増えるのは店舗の数だけ、ということにすらなり兼ねないのです。
・どうすれば解消される?
Twitterでこのコンビニの話をツイートしたところ、このような意見を頂きました。
“例えば社員割引(割引率5%ぐらいからスタート)システムを適用したら働くことに旨味が出ますよね♪そして勤続年数に応じて割引率が増えるシステムだったら、定着率も見込めて人手不足の解消に効果的と思います”
一見良さそうに思えますが、これって年功序列そのものです。
「長く働けば働くほどお得」ということは、長く働かなければ損をする、ということになります。
社員割引率の増加率も、普通に考えればある一定の年数で鈍化するので、そこに差し掛かる前に辞める人も多くなるでしょう。
また、初めから社員割引がある場合は、アルバイトではなく割引目的の人も出るかもしれません。
そうなると「社員割引で生活用品や保存食を買い込み、アルバイト初日で辞める」なんて人も出てくるでしょう。
そういった結果、引き起こるのは「今以上に一人当たりの平均勤務日数は減少し、辞めるに辞められない人だけが残る」ことになります。
・じゃあどうすればいいの?
どんな方法を取っても、何かしら問題は起こり、きれいさっぱり解決という話にはならないと思います。
私なんかは人手不足解消のために、インスタ映えするような社員の制服や店舗にすることによって「そのお店で働いていることがアイデンティティになる」という、外的報酬よりも内的報酬に注力した方が良さそうに思っていますが、それこそチェーン店では現実的ではありません。
ただ間違いなく言えることは、どんな方法であれ、絶対に「得する人と損する人」が出てくるわけです。
賃金を上げた時に誰が損を被るのか、オートメーション化した時に誰が得するのか?
それを考えていくと、自ずと職業選択で失敗する確率を減らせるようになります。
苦労も努力もせずに偏食を克服した話
今も昔も私は病的なレベルの偏食であり、ほとんどの料理を食べることが出来ません。
学校の給食も、毎日ご飯かパンしか食べていませんでした。
親は「大人になれば自然と食べられるようになる」と矯正もあまりせずに育ててくれたのですが、大人になっても偏食はちっとも改善しませんでした。
ただ、三十を手前にしてようやく、食べられる物が増えるようになった、というより食事自体に興味を持てるようになりました。
別にそれは偏食を治すと誓って懸命に努力したわけでもなく、専門家や誰かからアドバイスを受けたというのでもなく、単に一人暮らしをして食費を浮かせようと思っただけです。
食べること自体に興味がないので、食費を減らすことはいくらでも出来たのですが、それではどう考えても健康に悪いです。
ただでさえ食べられるものが少ないのに、唯一の食事をケチってしまえば、冗談抜きで命に関わる話になります。
じゃあ食費を抑えながら健康な食事を取るにはどうしたらいいんだろう?と考えた結果「栄養価の高い食品を取るようにすれば、余計な物を食べなくて済む」という結論に至ったのです。
栄養価の高い食品、というより食材は生鮮食品が多くなるので、むしろ高価なものが多いですが、その分ムダな物を買ったり食べなくて済むので、トータルで見ると全体の食費としてはそれまでと変わらなかったりします。
というように、偏食を克服出来るきっかけは一応あったのですが、内容は言い訳みたいなものなので、全く意味がありません。
それよりも「どうして変わることが出来たのか」「他のことにも応用出来ないか」についてしっかりと考えた方が価値があると思い、記事にしました。
小学生の頃は給食がまともに食べられないので、クラスメイトや教師からともかくいつも様々なことを言われ続けていました。
・給食のおばさんが一生懸命作ってくれた物を食べないなんて、罰当たりだ
・ちゃんと食べなきゃ病気になって死ぬぞ
・貧しい国の人は食事もままならないというのに、贅沢過ぎる
・美味しいものが食べられないなんてもったいない、可哀想
・私も昔は偏食だったけど、嫌々ながら努力して何とか克服した
・いいから一口だけでも食ってみろ
・病院に行った方がいい
こういった決まり文句のような言葉は、耳にタコどころかクジラが出来るほど散々聞かされてきました。
でもこれらの言葉をありがたいと思ったことは1ミリも無いです。
どんなに人並みに食べられるようになっても、絶対に感謝することはありません。
むしろこういった説教や否定をされることから食事の場が嫌になり、食べること自体が嫌いになり、余計に偏食が治らないという悪循環を何十年と過ごしてきたからです。
百歩譲って、イヤミを言われるだけならまだマシなのかもしれません。
今でもはっきり覚えているのは、小学校3年生の時に隣のクラスの教師は食事に厳しく、完食するまでは昼休みどころか放課後まで残させていて、好き嫌いの激しい子にはその教師がそばにずっと付きっ切りで、吐きながらでも無理やり完食させていました。
もし自分がそのクラスになっていたらと思うとゾッとします。というか今そんなことをする教師がいたら大問題なんじゃ……。
ともかくどんなに正論を言ったり、人格否定や脅迫をしても、当事者の改善にはならないどころか、悪化させる一方なのです。
偏食に限らず、海外の研究では「喫煙者にたばこを吸った時のリスクや病気を告げた後の方が、喫煙率や本数が高まる」なんて結果も出ているように、忠告は百害あって一利なしなのです。
自分自身が偏食の改善をしたのは、外部環境の変化によるものが大きいと思っています。
実家暮らしで親に料理を作ってもらったり、家にあるものを食べているようではいつまでも変わらなかったと思います。
また、外食だと当たり前ですが既に調理された食品が出てくるので「注文したはいいけど食べられない」事態になると、損するだけではなく周りに迷惑をかけてしまうことから、食べられるメニューしか頼まない、という選択しかしなくなります。
実家を離れたことで、自炊や自分で料理を決める機会を得て、食べたことのない食品にも興味を持てたり、料理が失敗したり食べられなくても自己責任だけで済ませられる、つまり失敗が許される環境なので、試行錯誤が何度も出来るようになりました。
これって要は環境変化によって「自分で考えたことや興味を持ったことを何度も試せるようになった」んですよね。
もしもこれが考えたことを提案したら却下されたり、文句を言われたり、失敗した時に怒られたり否定されたりしたら、それを最後にきっぱり辞めてしまうと思います。
あれ? でもそれって、勉強や仕事で当然のようにされていることのような気もするぞ……?
私自身は偏食を克服したという達成感はなく、それよりも偏食の原因と対策が分かった感覚に近いです。実際まだまだ食べられない物は山のようにありますし。
原因は食事や料理に興味がない点、対策としては栄養素を参考に献立を考える点です。
そう考えるとやっぱり今まで散々言われ続けてきた説教やイヤミや押し付けの言葉は、的外れだったんだなぁ、と思います。
興味のない物を脅しや文句を言われながらひたすら押し付けられていたのですから。
とはいえ、私自身も無意識に同じような発言を他人にしているのかもしれません。
常識やマナーという後ろ盾を借りて、平気で相手を傷つけていたと思うと、複雑な気持ちになります。
もしも友人や知り合いに、偏食を始めとする普通の人とは違ったものをもった人がいた場合、それを矯正させようとするのは勿論、説教や心配をするのは逆効果です。
それよりも、周りからそういった反応をされて疲弊している相手に対して黙って手を差し伸べて上げる方が、よっぽど有難い気持ちになります。
私自身の場合は偏食に興味を持ってもらったり、それを話題として盛り上げてもらえるようなことは嬉しいのですが、そうではない人も多いと思うので、これは一概におすすめとは言えません。
一般常識と照らし合わせてみれば、偏食はおかしなことかもしれませんが、当人からすれば、それが当たり前で自分にとっては変えたくても変えられない性格のようなものなのです。
偏食で悩む本人の方は、どうか周りの言葉を鵜呑みにせず、自分を責めないようにしてください。
治るという言い方もおかしいですが、生活や仕事、環境の変化に合わせて、食事というものは大きく変わっていきます。
そうした中で、食べられなかったものが食べられるようになるチャンス、タイミングというものが訪れます。
そういった機会を逃さず、また焦らずにしていれば、ある日嘘のように食べられなかったものを食べられるようになります。
もしも食べられなくても、その時はその時です。まだ早いか、本当に食べられないかのどちらかです。
食べられなくても落ち込まないでください。この世には星の数ほどの食品や料理があるのですから。
周りに偏食の人や子供がいる人や親御さんは、まずはそれを個性だと思って受け止めてあげてください。
たとえ本人が本気で悩んでいたとしても、協力はしても矯正は絶対にしてはいけません。
悩んでいるということは、悩むようになった原因があるのです。その原因をきちんと捉え、その原因と向き合うべきです。
偏食は一般的なことでは勿論無いですし、無ければ無い方が良いことも事実です。
だからこそ偏食で悩んでいる人も多くいるかと思います。
そんな人が自分のように嫌な思いを受けないように、少しでも悩みが晴れれば、と思っております。
絶対に信用を産む/失う行為と信頼される条件
他人を信頼している状態というのは、接触回数や相手の素性、身なりといった表面的な情報で判断しているわけではなく、むしろ当たり前のように相手を無意識に信じていると思います。
企業の採用担当ならともかく、普通の人が「この人は信用項目の一定数を満たしたから信頼出来る!」なんてことはいちいち考えないはずです。
また、年齢を重ねたりいろんな人との交流を深めるにつれ「相手が信頼出来るかどうか」というのは、勘のようなものでぱっと見でおおよその傾向が掴めるようになります。
それを鵜呑みにして安易に疑ったり信じたりすることは危険ではあるのですが、それはそれとして、そういった勘のようなものは、何処でどう感じ取っているのか?、個人的には興味があります。
まず信頼の条件として、「絶対に信頼を産む行為/失う行為」というものを考えてみます。
○絶対に信頼を産む行為
・必要なものを無償で差し出してくれる
当たり前ですが、困っている時に手を差し伸べてくれた人には、誰だって感謝の気持ちだけでなく、一時的ではあっても信頼出来ると感じます。
また、それは助けられた本人だけでなく、その光景を側から見たり聞いたりした人にも伝わります。
ただし信頼『関係』が生まれるとは限りません。
電車でお年寄りに席を譲ったからと言って、その人との付き合いはどちらかが目的の駅で降りてしまえば終わってしまいますし、次にまた会う機会はまず無いと言っていいでしょう。
ネットで言えば、偶々目に入った無料の記事やコンテンツを手にしたからと言って、すぐにその製作者を信頼するわけではありません。大抵の場合は誰が作ったかも知らないままか、知っても忘れてしまうことがほとんどです。
●信頼を失う行為
・嘘や隠し事
ウソをつくことや隠し事は誰にでもあるはずです。ただそれを聞かれてもいないのにほのめかす行為をした時点で、信頼を大きく失います。
知らなければ無いものと変わらないのですから、隠し事がいけないというよりは「疑念を抱かせるような行為」が、信頼を失いやすいと言えます。
・借りた物を返さない
これもお金を始めとして借りる行為自体は誰しも必要な機会があるはずです。
ただ、返すアテがないものを借りた時点で信頼関係は切れてしまいます。
・利己的な判断
ゲーム理論でいう、公共財ゲームや囚人のジレンマが分かりやすい例です。
囚人のジレンマ
http://agora-web.jp/archives/2022117.html
公共財ゲームhttps://www.weblio.jp/content/%e5%85%ac%e5%85%b1%e8%b2%a1%e4%be%9b%e7%b5%a6%e3%82%b2%e3%83%bc%e3%83%a0
短期的な関係であればあるほど起こりやすく、また頭が良い(ズル賢い)人ほどやりがちです。また、相手を負かして自分が勝つための手段を使ったり、競合相手であれば当然行われます。
このように両方の側面から考えてみると、信頼関係を産むというのは、
『長い付き合いを前提とした交友関係』
を意識することが一つの答えだと、私は思いました。
とは言っても、いきなり好きな相手に結婚を前提としたお付き合いをお願いするとか、定年退職まで勤め続ける覚悟とか、そういった表面的な話ではありません。
今後二度と会うことが無いような人(もしくはネット上だけの関係の人)に対して横暴な態度を取ったり、その場限りの関係を築くために嘘を付いたり見栄をはるような行為をしない、ということです。
でもこういうこと、日常的に至るとこで見かける気もします。
それぞれやむを得ない事情があるのかもしれませんし、それを他人が指摘したところで、何の解決にもなりません。
逆に言えば、そういった行為が当たり前の場所で、素直で誠実な行動を取るだけで、大きな信用を得ることが出来るのです。
結局のところ、信頼するかしないかは、自分自身の裁量に掛かっています。
些細なことでも「裏切られた!」と思えばそれは信頼を失うことになりますし、逆も然りです。
何でも許容出来る心を持て、というのではなく、信用できるとか裏切られたとかいちいち判断せずとも、他人の信用を犠牲にしてやり繰りしている人とは、自然に距離が遠くなるか、首が回らなって相手から遠ざかっていきます。
どうしようもない状況に置かれた場合、どんな人でも信頼を大きく失う行為に出てしまってもしょうがないと思います。リスク分散をすることで全体的に見れば損失を下げられるケースも多くあります。
相手がそういった「事故」によって信頼を失った場合、自分自身が「裏切られた」と感じて関係を疎遠にしてしまうのは、とてももったいない事です。
私の周りでも信頼出来る人というのは、期待に必ず応えてくれる人や絶対に裏切らない人よりも、もっと単純に「この人とはいつまでも付き合いが続きそう(続けていたい)」と自然に思える人です。
どういった人がそういう風に思えるのかと言えば、これはかなり抽象的で「一緒にいると落ち着く」「素直な気持ちでいられる」「楽しい」と言った、感覚的なものがほとんどです。
SNSを始めとして、自分自身の考えや内面を見せられる場が多くなった今、友達や恋人、仕事で信頼してもらえるようになるには、スキルや実績や数字をアピールするのではなく、相手に安心してもらえるような誠実な人であること、なのかもしれません。
隠れた才能の見つけ方
就活をする時に自己分析シートを書いたり、これまでの経験や学んできたことから、自分の特技や適職を考えたことのある人は多いかもしれません。
ですが、そういった複数の質問に答えたり自問自答しなくても、案外自分の性格や得意分野というものは、表面的にしっかり見えるものです。
他人であればあるほど、そう言ったものは一目瞭然と言わんばかりに見極めることが出来ます。
性格や得意不得意というものは、主に生活習慣に現れます。
誰もが当たり前に行う歯磨きや掃除のやり方一つとっても、人によって違うことがほとんどです。
几帳面であったり逆にずぼらだったり、そういった細かい習慣を重ね合わせることによって、自然な性格傾向というものが見えてくるものです。
また、服装や身だしなみにはお金を掛けず、どうでもいいと思っている人が「ファッションに自信やこだわりがある」と言っても説得力が無かったりします。
言葉だけでなく限られた時間や空間では自分を装うことは出来ても、ふだんの習慣や行動は取り繕うことはできず、接触回数が多くなればなるほど、そういった「本来の性格」はボロが出るようになります。
他にも、自由な時間が与えられた時の行動にも、性格というものは大きく現れます。
休日の過ごし方などだと、職種や日付の影響が強いので、そうではない、例えば連休の半ばの予定の無い日の過ごし方や、長い待ち時間など、そう言った時の自分の行動を客観的に見ることによって、ふだんの行動が見てとるように分かります。
意識してしまうと、有意義な行動をしようとして、本来の行動が見えないことがあります。
また、日記のように回想するように自分の行動を思い出しても、自分にとって都合の良い記録しか残らず、参考にならなかったりします。
一番良い方法としては、他人と一緒に過ごすことです。
他人の行動に違和感を抱いたり、逆に他人に自分の行動に気付いてもらうことによって、客観的に自分自身の行動や習慣を確認することが出来ます。
一人の場合、動画などで記録して確認することも効果は高いですが、これは慣れないとカメラを意識してしまい、良い結果が得られないことが多いです。
これは性格を知るだけでなく、ダイエットなどにも効果的です。
食事量を減らしているはずなのに体重が落ちない、などと悩んでいる人は、他人から見れば確かに食事はあまりしていなくても、一日中座っているだけでロクに運動をしていなかったり、糖分の多い飲料を沢山飲んでいる、なんていうように、本人には分からないけど単純明快な原因があったりします。
自分にとって当たり前であり、自然なことだと思っていたのが、他人からすればおかしな行動であることが多いです。
他人の視点が全て正しい、というわけではありません。また、いちいち自分の行動が正しいかどうかを普段から気にする必要も無いです(というかそんなことを気にし始めたら、何も行動出来なくなりそうです)
大事なのは「定期的に自分の行動や習慣を客観的に確認すること」、そして「今の自分の目的や目標と、ふだんの行動が結びついているか?」の二点を知ることです。
海外旅行が好きな人は、海外での風習や国民性、生活から行動を見たり体験することによって、自分自身を客観的に見る機会を作っているとも考えられます。
真面目な人であればあるほど、上手くいかなかった時、やるべきことをやらなかった時に自分自身を責めてしまいやすいです。
しかし性格や生活習慣というものは、外部環境による影響のものがほとんどです。
人間関係、生活、環境、細かい習慣、経験や知識、それらを変えなければ変化は起こりにくく、また今現在目標としている方向へ進んでいないのでしたら、それらを見直さなければ今後も進まない可能性が高くなります。
逆に言えばそれら外部環境を変えるだけで、ぐっと理想に近付けることも可能になるのです。
例えばテーブルの上に毎日デザートとしてケーキやお菓子が沢山並ぶ食卓で、甘いものが大好きだけどダイエットをしようと思っても難しい話であり、我慢し続ければどこかでそのツケが回ってくるものです。
また、仕事にやりがいを求めていても、やる気のない同僚や上司と共に仕事をしていれば、良い結果が得られないことは目に見えていることです。
「そんなこと当たり前だろ」と思うかもしれませんが、いざ自分自身のことになると、見えなくなる、というよりも見えないふりをしていることが多いです。
変化を起こすことによって、それまでの自分の行動を客観的に見ることが可能です。
ただ、新しい物事に慣れるまでは以前までのやり方や環境の方が良いと思うのは仕方ないことなので、慣れてきたあたりで「そういえば…」と思い出す程度に比較して見た方が、冷静な判断が出来るようになります。
二進も三進も上手くいかない、何をすればいいか分からない時ほど、一人で悩み続けるより、簡単なことでもいいので変化を起こしてみることをおすすめします。
情報の内側を知るということ
スマホやSNSの普及によって、いつでもすぐに最新情報を得られるようになったこと、個人でも情報発信が出来るようになったことはすごいことですが、その反面フェイクニュースという言葉もあるように、ただ流れる情報を眺めるだけでは良い情報が得られないどころか、むしろ悪影響を及ぼすケースも多くなってきました。
スマホに限らず、メディアや情報媒体が進歩すると、物事の『内側』が見えやすくなります。
これはどういうことかというと、例えば新聞や雑誌、テレビやラジオと言ったマスメディアが普及した時は、全国の政治経済や天気と言った情報が、その国に住んでいれば何処でも知ることが出来るようになりました。
一方で、政治の混乱や内部のもつれ、経済の乱れや地方での凶悪事件など、本来は知るはずも無かった情報も、それらのマスメディアを通じて流れてくるようになりました。
そういった情報を知る必要があるかどうかは、ここでは問いません。
ただ一つ言えることは「知ったところで個人では対応出来ないこと」であることがほとんどです。
これらのような、内部の人や内部を知る人から伝達されなければ知り得ない情報を、ここでは情報の『内側』と呼びます。
やがて携帯電話が普及し始め、スマホやSNSが当たり前の生活になると、今度は軽犯罪や芸能人の不倫、ブラック企業の実態など、少数や個人単位でのプライベートな『内側』も見えるようになりました。
これらの情報も同じように、ほとんどの人にとっては関係のないことです。
また、不倫もブラック企業も増えたのではなく、元々あったことが露見するようになった(そういった情報に価値を持たせる場が整った)と言えます。
こういった「個人には関係のない内側の情報」を多くの人は毎日のように見たり読んだりしていますが、はっきり言ってとても無駄なことだと私は思います。
何故ならこういった情報は話題に尽きることがないからです。
また、政治家や芸能人という職業であることを理由に、個人を痛烈に批判するようなニュースを見続けていれば、性格も歪んでしまいそうです。
はっきり言えることは、内側の情報というものは良いものと悪いものがあるということです。
良い内側の情報というのは「その情報を知ることによって、興味関心を抱いたり、大きな学びへと発展できる」ものです。
例えばパソコンやタブレットを使っていて、これらの機械はどうやって動いているのだろう?と思ってネットで検索すれば、CPUやOS、液晶画面のようなパーツから中身を分解した動画まで、ありとあらゆる「内側」の情報を知ることが出来ます。
それらを知ったところで何の役にも立たない、と思うかもしれませんが、それがきっかけで自作PCを組んでみようと思ったり、プログラミングを勉強してみたり、パーツに惹かれて工業系の専門職に就きたいと思うように、何かのきっかけになったり、好奇心を持つことが出来るのです。
こういった機械の仕組みや自然現象、人の身体機能や構造、動物の生態や宇宙についてなど、百科事典に書いてあるようなことは、ネットには無数に情報が蓄積されています。
「ネットは危険だから子供には見せたくない」という大人も多いかもしれませんが、正しい使い方を教えてあげれば、本や学校で学ぶよりも何倍もの学習効果、そして何より様々なことに興味が湧き、自分から行動出来るような自主性が育むようになります。
先日、ニンテンドースイッチのニンテンドーラボというソフトが発売されました。
それはダンボールを組み立てて自分で一からコントローラーを作るという教育玩具のようなゲームなのですが、私がこれを実際に遊んでみて感動したのは、コントローラーの仕組み、つまりゲームの内側を子供にも分かるように丁寧に解説していることです。
ニンテンドースイッチのコントローラーには、スマホなどにも搭載されている加速度センサーをはじめとして赤外線カメラ、HD振動など、高度な機能が付いています。
ニンテンドーラボではそれらを活かしたコントローラーを組み立てることが出来ます。
どうすると加速度センサーが反応するのか、赤外線カメラは何を捉えているのか?などもゲーム内で分かりやすく説明されていて、実際にその仕組みを知った後に同じゲームをやってみると、全く別な視点から楽しむことが出来ます。
手品の種明かしのように、今までだったらこの仕組みである「内側」は秘密にしておいた方が、魔法のように楽しめるのかもしれませんが、いくら秘密にしても、ネットで検索すれば誰でも5秒で分かってしまうのが今の時代です。
逆に言えば簡単に仕組みを理解出来るからこそ、誰にでも物やコンテンツを創り出せる可能性が与えられているのです。
「クーラーはこまめに消した方が電気代が高くなるのか?付けっ放しの方が安くなるのか?」と言う議論もネットではよく見かけますが、エアコンの仕組みを調べて理解すれば、どういった気候や環境だと電気代が掛かるのかどうかなども、数十分で解決してしまいます。
「内側」を知るということは、知識量だけでなく学習能力を大きくあげる効果があるのです。
ただ、調べない方がいい「内側」の情報もあります。
それは他人の性格傾向や、病気に関する内容です。
他人の性格や心理というものは、そもそも抽象的なものであり、また置かれた環境や所属するグループでの立場によって、相対的に変化するものです。
意識や人の心は氷山の一角のようなものという言葉があるように、他人は勿論、自分自身の性格ですら分からないことも多く、また常に変化しているものなのです。
そのため「こういった行動や考えを持つ人は、こういう性格傾向がある」と言った情報は、かなり偏ったケースがほとんどです。
学問の一環として心理学を学ぶことは良いことですが、人の内面を知ろうとしたり、自分自身の才能や性格を知るためにそれらの情報に触れることは、返って逆効果になります。
病気に関する情報は、何年か前にWELQの医療情報の問題のように、信ぴょう性のない情報が多くあります。
また、事実であっても「一万人に一人の確率で起こるリスク」と通常のリスクが同等に扱われているような内容も少なくはありません。
そんな情報を鵜呑みにしてビクビクしているよりは、素直に信頼出来る病院で健康診断や定期検査を受けるべきです。
多くの人はスマホでは、SNSで友だちと会話したり、ゲームをしたり、買い物をしている人だけの人が多いかと思います。
また、調べ物をしていても「答えのない問題」や最初に書いたような意味のない内側の情報を見ていることも多くあると思います。
しかし、同じスマホやネットを使っても、自分の興味関心ごとや専門的なことに関して、「内側」の情報を正確に沢山得られることが出来れば、今までの常識では考えられない低コストと短時間で成長及び学習することが可能なのです。
情報が平等なネットの世界では、そういった能力が今後も重要になってくるでしょう。