micorunの自己紹介

自己紹介を長々と書きました。

苦労も努力もせずに偏食を克服した話

 

 

今も昔も私は病的なレベルの偏食であり、ほとんどの料理を食べることが出来ません。

学校の給食も、毎日ご飯かパンしか食べていませんでした。

 

親は「大人になれば自然と食べられるようになる」と矯正もあまりせずに育ててくれたのですが、大人になっても偏食はちっとも改善しませんでした。

 

ただ、三十を手前にしてようやく、食べられる物が増えるようになった、というより食事自体に興味を持てるようになりました。

 

 

別にそれは偏食を治すと誓って懸命に努力したわけでもなく、専門家や誰かからアドバイスを受けたというのでもなく、単に一人暮らしをして食費を浮かせようと思っただけです。

 

食べること自体に興味がないので、食費を減らすことはいくらでも出来たのですが、それではどう考えても健康に悪いです。

ただでさえ食べられるものが少ないのに、唯一の食事をケチってしまえば、冗談抜きで命に関わる話になります。

じゃあ食費を抑えながら健康な食事を取るにはどうしたらいいんだろう?と考えた結果「栄養価の高い食品を取るようにすれば、余計な物を食べなくて済む」という結論に至ったのです。

 

栄養価の高い食品、というより食材は生鮮食品が多くなるので、むしろ高価なものが多いですが、その分ムダな物を買ったり食べなくて済むので、トータルで見ると全体の食費としてはそれまでと変わらなかったりします。

 

 

というように、偏食を克服出来るきっかけは一応あったのですが、内容は言い訳みたいなものなので、全く意味がありません。

それよりも「どうして変わることが出来たのか」「他のことにも応用出来ないか」についてしっかりと考えた方が価値があると思い、記事にしました。

 

 

 

小学生の頃は給食がまともに食べられないので、クラスメイトや教師からともかくいつも様々なことを言われ続けていました。

 

・給食のおばさんが一生懸命作ってくれた物を食べないなんて、罰当たりだ

・ちゃんと食べなきゃ病気になって死ぬぞ

・貧しい国の人は食事もままならないというのに、贅沢過ぎる

・美味しいものが食べられないなんてもったいない、可哀想

・私も昔は偏食だったけど、嫌々ながら努力して何とか克服した

・いいから一口だけでも食ってみろ

・病院に行った方がいい

 

こういった決まり文句のような言葉は、耳にタコどころかクジラが出来るほど散々聞かされてきました。

 

でもこれらの言葉をありがたいと思ったことは1ミリも無いです。

どんなに人並みに食べられるようになっても、絶対に感謝することはありません。

むしろこういった説教や否定をされることから食事の場が嫌になり、食べること自体が嫌いになり、余計に偏食が治らないという悪循環を何十年と過ごしてきたからです。

 

 

百歩譲って、イヤミを言われるだけならまだマシなのかもしれません。

今でもはっきり覚えているのは、小学校3年生の時に隣のクラスの教師は食事に厳しく、完食するまでは昼休みどころか放課後まで残させていて、好き嫌いの激しい子にはその教師がそばにずっと付きっ切りで、吐きながらでも無理やり完食させていました。

もし自分がそのクラスになっていたらと思うとゾッとします。というか今そんなことをする教師がいたら大問題なんじゃ……

 

 

ともかくどんなに正論を言ったり、人格否定や脅迫をしても、当事者の改善にはならないどころか、悪化させる一方なのです。

偏食に限らず、海外の研究では「喫煙者にたばこを吸った時のリスクや病気を告げた後の方が、喫煙率や本数が高まる」なんて結果も出ているように、忠告は百害あって一利なしなのです。

 

 

 

自分自身が偏食の改善をしたのは、外部環境の変化によるものが大きいと思っています。

実家暮らしで親に料理を作ってもらったり、家にあるものを食べているようではいつまでも変わらなかったと思います。

また、外食だと当たり前ですが既に調理された食品が出てくるので「注文したはいいけど食べられない」事態になると、損するだけではなく周りに迷惑をかけてしまうことから、食べられるメニューしか頼まない、という選択しかしなくなります。

 

実家を離れたことで、自炊や自分で料理を決める機会を得て、食べたことのない食品にも興味を持てたり、料理が失敗したり食べられなくても自己責任だけで済ませられる、つまり失敗が許される環境なので、試行錯誤が何度も出来るようになりました。

 

これって要は環境変化によって「自分で考えたことや興味を持ったことを何度も試せるようになった」んですよね。

 

もしもこれが考えたことを提案したら却下されたり、文句を言われたり、失敗した時に怒られたり否定されたりしたら、それを最後にきっぱり辞めてしまうと思います。

 

あれ? でもそれって、勉強や仕事で当然のようにされていることのような気もするぞ……

 

 

 

私自身は偏食を克服したという達成感はなく、それよりも偏食の原因と対策が分かった感覚に近いです。実際まだまだ食べられない物は山のようにありますし。

原因は食事や料理に興味がない点、対策としては栄養素を参考に献立を考える点です。

 

そう考えるとやっぱり今まで散々言われ続けてきた説教やイヤミや押し付けの言葉は、的外れだったんだなぁ、と思います。

興味のない物を脅しや文句を言われながらひたすら押し付けられていたのですから。

 

とはいえ、私自身も無意識に同じような発言を他人にしているのかもしれません。

常識やマナーという後ろ盾を借りて、平気で相手を傷つけていたと思うと、複雑な気持ちになります。

 

 

もしも友人や知り合いに、偏食を始めとする普通の人とは違ったものをもった人がいた場合、それを矯正させようとするのは勿論、説教や心配をするのは逆効果です。

それよりも、周りからそういった反応をされて疲弊している相手に対して黙って手を差し伸べて上げる方が、よっぽど有難い気持ちになります。

 

私自身の場合は偏食に興味を持ってもらったり、それを話題として盛り上げてもらえるようなことは嬉しいのですが、そうではない人も多いと思うので、これは一概におすすめとは言えません。

 

 

一般常識と照らし合わせてみれば、偏食はおかしなことかもしれませんが、当人からすれば、それが当たり前で自分にとっては変えたくても変えられない性格のようなものなのです。

 

 

偏食で悩む本人の方は、どうか周りの言葉を鵜呑みにせず、自分を責めないようにしてください。

治るという言い方もおかしいですが、生活や仕事、環境の変化に合わせて、食事というものは大きく変わっていきます。

そうした中で、食べられなかったものが食べられるようになるチャンス、タイミングというものが訪れます。

そういった機会を逃さず、また焦らずにしていれば、ある日嘘のように食べられなかったものを食べられるようになります。

もしも食べられなくても、その時はその時です。まだ早いか、本当に食べられないかのどちらかです。

食べられなくても落ち込まないでください。この世には星の数ほどの食品や料理があるのですから。

 

 

周りに偏食の人や子供がいる人や親御さんは、まずはそれを個性だと思って受け止めてあげてください。

たとえ本人が本気で悩んでいたとしても、協力はしても矯正は絶対にしてはいけません。

悩んでいるということは、悩むようになった原因があるのです。その原因をきちんと捉え、その原因と向き合うべきです。

 

 

偏食は一般的なことでは勿論無いですし、無ければ無い方が良いことも事実です。

だからこそ偏食で悩んでいる人も多くいるかと思います。

そんな人が自分のように嫌な思いを受けないように、少しでも悩みが晴れれば、と思っております。