micorunの自己紹介

自己紹介を長々と書きました。

0i クソリプ耐性をつけるには?

『頭の良い人と悪い人の物の見方の違い』が二度目のヒットをしてから、誹謗中傷というより粗探しやクレームをつけてくるようなアカウントは激減しました。
元々そういうクソリプは文章の長さでだいたい分かるので、最初の数文字で判断読まないように意識的に避けていたのですが、読んでも大抵は中身がないものが多かった覚えがあります。


「そんな炎上と晒し上げとクソリプに耐えられるなんて、どんな図太い精神力を持っているんだ」と身内にもtwitter上でも言われますが、別に自分は精神も弱いですし、嫌なことを言われたら普通に傷付きます。
ただ、すごい忘れっぽいことと、プライドが低いのが多少影響しているのかもしれません。


知り合いにも「あの時あの人にああ言われて…」みたいな愚痴をよくする人が結構いますが、よくもまぁそんなことを覚えていられるなぁ、と感心してしまいます。
ただ記憶は想起する(思い出す)とより一層記憶として定着しやすいという性質があると本で読んだことがあるので、色んな人に愚痴っているからこそ、変な言い方ですが「傷ついたワードコレクション」がどんどん充実していってしまうのかもしれません。


あとプライドが高い人も、例えば知らないアカウントに「バカ」とか「ヘタクソ」と言われると、途端に相手をRPGの魔物のように敵対するようですが、私はそういう気持ちになる感情の仕組みがよく分かりません。
バカと言われて腹が立つのなら勉強すればいい話ですし、絵が下手だと言われて気にするようなら上手くなる努力をすればいいだけです。

 

少し前に私のピアノの演奏動画を聴きたいという人がいたので、聴いてもらったところ「リズムがグチャグチャ。もっと練習しなきゃダメよ」と言われ、その瞬間は「クソが」と思ったのですが、確かにその人の言う通りリズムはお世辞にも良いとは言えず、演奏を見直すきっかけとなりました。
その後も練習をしている最中にふと言われたことを思い出すと、自分では完璧だと思っていたフレーズが、実は全然出来ていなかったというように客観視出来るようになったため、感謝はしたくないけれど成長に繋がったことは事実です。

 

つまり、クソリプも物によっては客観的に見るチャンスとも言えます。


特に私の作品を「嫌だけど見てやる」ような人のコメントは、実は的を射ていることが多く、ムカついたりショックを受けることよりも、ハッと気付かせてもらえる機会の方が多いのです。

そういう意味では、最近はクソリプが減ったと同時に率直な感想をくれる人が減ってしまったことも、少し寂しいのが事実です。
私自身は漫画やツイートを通して価値観を強要したいのではなく、多角的な視点を持ちたいと思っています。
「○○はこうであるという俺は正しい!」などと主張しているのではなく「私にとって○○はこうである! あなたはどう思う?」というニュアンスに近いです。
そのため、否定は客観視できるきっかけになるのですが「そもそも○○は〜」のように話が逸れたりするのは中傷目的に書かれていなくてもつまらないことが多いです。

逆に大御所芸人のように、毒舌やひどいことを言いながらも当人を持ち上げられる人、その中傷に笑いを誘える人は言われる側でも面白いですし、視点の変化という意味でもとても参考になります。


結局は「自分がその発言をどう受け止めるか」で薬にも毒にも変わると思っているので、だったら面白い方向、自分のためになる方向に考えた方がいいよね、という気持ちが結果的にクソリプに対する処世術になっているのかもしれません。