micorunの自己紹介

前にバズった時の記録代わりの自己紹介と、普段考えていることを雑多に書いてます。

続かないブログ、広がっていくブログ

 

 

主婦の間では、一昔前から「100円均一ショップで買った商品紹介」のブログが流行っているらしいです。

 

たしかにセリアのようなデザイン性やオシャレを重視した100均チェーン店の登場で、商品そのままでもインスタ映えするような物も増えてきました。

 

また、海外旅行客からも100均は好評で、原宿の竹下通りにあるダイソーの店頭には抹茶味のお菓子が置かれ、観光客が沢山訪れています。

そのため、YouTubeやインスタとの相性の良いのかもしれません。

 

 

ところで、ブログはSNSの投稿に於いて「成功しやすいやり方」と「失敗しやすいやり方」が明確にあります。

今回はそんな100均の商品ブログを書くaさんとbさんを例に、どちらのやり方が成功しやすいのかを書いていきます。

 

 

・aさんのブログ

「100均のオシャレな新商品を紹介、レビューするブログ」

・bさんのブログ

「100均で購入した雑貨を組み合わせてハンドメイド作品を紹介するブログ」

 

どちらも100均で購入した商品を紹介するという主旨は同じです。

では、これを実際に運営していくとどうなるのでしょうか?

 

aさんのブログは新商品をいち早く入手し、実際に自分で使ってみたり生活に活かすアイディアを書いているため、新規読者も付きやすく、投稿する度にアクセス数が増加していきます。

投稿すればするほど、比例してアクセス数も増えるため、モチベーションは上がる一方です。

 

一方でbさんのブログは、最初のうちは同じハンドメイド作品を見たり投稿している人からのアクセスがありますが、よほどセンスや技術がない限りは、僅かな読者しか付かないことがほとんどでしょう。

また、投稿をするためには作品を作らなければいけないため、平均投稿数には限界があります。

アクセス数としては開始直後がピークで、すぐに底を這いずるような線を描くことになるかもしれません。

 

 

ここまで見ると、aさんのブログがそのまま右肩上がりに伸びていくように感じます。

また、bさんはSNSなどでバズったりしない限り、大きくアクセス数を増やす機会は無いかもしれません。

 

しかし、これが1年2年とたってくると立場が逆転し始めます。

 

アクセス数が伸び続けていたはずのaさんのブログは、他の競合相手や同じ新商品を紹介するまとめサイトやユーチューバー、インスタグラムの投稿者が増えていき、アクセス数はある地点で鈍化し始めます。

また、100均もそんなに頻繁に新商品が出るわけでもなく、むしろ季節の変わり目などに集中して出荷されるため、継続した新規投稿が難しくなってきます。

勿論新商品を紹介し続けるなら、商品を購入するのは勿論、写真とレビューを添えてしっかりコンテンツとして投稿しなければなりません。

 

しかし自分が投稿しなくても、他の競合相手がすぐに投稿し、それに関する他のレビューやコメントも集まり、充実したコンテンツは一瞬にして作られてしまいます。

そうなってしまえば、いくら100均とはいえ、商品を買うのも勿体無く感じ「投稿するより見る方が合理的」と判断するようになるのは、時間の問題です。

 

このようにして、aさんのモチベーションは、競合相手が増えれば増えるほど、急激に低下して、挫折率はとても高くなってしまうのでした。

 

 

ところでbさんはというと、アクセス数は2年たってもそこまで極端には増えていません。ただ続けていった中で、偶々バスったり、ニュースサイトやインフルエンサー(影響力のあるアカウントを持った人、例えば芸能人)による紹介で、フォロワーや読者数は局所的に増加しています。

 

投稿数もそこまで多くもなく、平均すると月に5件ほどの新規投稿しか無いぐらいです。

ただaさんと違うのは、1つのコンテンツに対する価値の高さです。

 

同じような100均の商品を使ったハンドメイド作品を作って紹介する競合相手も同様に増えていくでしょう。

しかし、ハンドメイド作品というのは、その名の通り手作り品のため、よほどのことや流行に乗らない限り、同じような作品というものは産まれません。

むしろ自分自身の作家性や芸術性を込めれば込めるほど、他の作品との差別化が出来ます。

 

そういったことから、どうしてもbさんの作品が欲しい、bさんの作品を実際に見てみたいという人が少しずつ現れます。ファンですね。

 

bさんはハンドメイドを取り扱うショッピングサイトに登録したり、都内で開催されるハンドメイド作品の展示会、販売会などに参加もし始めます(コミケでもハンドメイド作品のブースはあったりします)

 

すると、そこで初めてファンの人との交流が出来る他、ネット上の数字に反して思った以上に自分の作品を知っている、興味を持ってくれる人がいることに驚く機会もあるでしょう。

もちろん作品を購入してもらえれば、その売り上げが収益となります。

交通費や参加料などの経費を差し引いてしまえば、儲けとしてはそんなに多くなることはないかもしれませんが、金額以上に得られるものはリアルな交流によって多くあります。

 

そのようなイベントに参加せずとも、SNS上でいつもいいねをくれたりコメントをくれるファン等も少しずつ増えていくので、作品を作り続けるモチベーション、投稿を続けるモチベーションは着実に高くなっていきます。

 

 

3年経った頃にはaさんのブログは半年以上更新されないまま放置され、bさんは活動の幅が広がり、ブログはあくまで活動の場の1つとなっていきました。

 

では、この二人の差はどうして産まれたのでしょうか?

 

 

 

一言で表すなら、二人の違いは「希少性の高さ」になります。

需要と供給で考えれば、ブログ開設当初はbさんよりaさんのブログの方が需要が多くあり、bさんの需要はあっても見つからない、潜在顧客となります。

 

・開設当初

需要の高さ

新商品>>>>>ハンドメイド品

 

需要自体は何年経っても変わらない、むしろ新商品の方が増えていきますが、上にも書いたように、競合相手が増加すればするほど、投稿者一人当たりのアクセス数やファン数は鈍化していきます。

 

・競合相手の増加→新規読者の増加率が低くなる

 

これってつまり、投稿者一人当たりの需要が減るのと変わらないんですよね。

 

新商品(の紹介)>>>ハンドメイド作品

 

 

また、ハンドメイド作品には潜在顧客がいるため、単純に言えば営業や宣伝をすれば、一定数の伸びが期待出来ます。

企業のように販促費や広報担当がしっかりいれば大凡の率と数値は測れるのかもしれませんが、個人の場合はむしろファンとの交流頻度や偶々のバズりの方が増える要因になるため、運の影響によるものも大きくなります。

 

しかし偶然にも認知度が上がり、bさんの方がaさんのブログよりファン数を上回った場合、簡単にはbさんのファンは減らないため、逆転現象が起こることになります。

 

・新商品<<ハンドメイド作品

 

aさんの方は競合の増加が減る頃には、量も質もスピードも安定した業者のような投稿主が出てくるので、そうなってしまってはもうそのままではアクセス数もファン数も減り続けます。その前に続けることすら困難になるでしょう。

 

bさんの作品は認知度が高まり、ファンが増えれば増えるほど一品あたりの希少性が高くなります。

また、開設当初やこれまでに投稿したブログ記事なども熱心なファンからのアクセスがあることから、数値としては極端に大きくなりはしませんが、継続的に見てもらえることになります。

 

 

aさんの場合は続ければ続けるほど、1記事あたりの価値が下がるのに対し、bさんの場合は続けるほど1記事あたりの価値がじわじわと上がっていくことになるのです。

 

 

 

今回は100均の商品紹介のブログを例に挙げましたが、他の分野でも同じことはいくらでも起こり得ます。

同じ商品を取り扱っていても、aさんは例えるのなら「アルバイト」であり、bさんは「職人」や「プロフェッショナル」と言えるでしょう。

 

実際、aさんのやっていることは「製品のPRや実例の紹介」であり、広告宣伝費を削っている100均の会社員の代わりに働いているようなものになります。

bさんの方は、製品を活かして新たな商品(作品)を開発しているため、新たな財を生み出しているとも言えます。

 

 

ただ、aさんの内容でも例えば独特の面白い書き方で紹介されていたり、イラストや漫画を交えて紹介されていると、コンテンツの価値は一気に高くなります。

逆にbさんの方が同じハンドメイド作品の紹介でも流行やアクセス数に目がいって、読者でないユーザー受けする物を作ったりする(要は方向性がブレる)と、途端にファンは離れていってしまうでしょう。

 

 

そうなると結局は「好きこそ物の上手なれ」ってことなのかもしれません。

 

勿論市場規模や流行、既存の競合がどれだけいるかでも成功率やファンの増加率というのは変わっていきます。

 

でも、SNSの普及で誰でも自由に個人で情報発信出来るようになったからこそ、より個性や才能が発揮しやすくなったとも言えるのです。

 

「自分には特技や才能も何もない」と思う方も多いかもしれませんが、そういったものは自分自身では全然分からないものです。

むしろ他人と異なる意見を持っていたり、対立しやすい人の方が才能があるとも言えます。

 

なので、まずはどんな物事でも、自分自身が感じた率直な意見や感想を投稿し始めるだけでもいいかもしれません。

 

アフィリエイトで食っていくぞ!」とか「アクセス数増やすぞ!」とか意気込むと絶対にaさんの二の舞を踏むので、おススメしません。

 

 

Twitterなどでも鍵付きアカウント(相互フォロー以外には非公開のアカウント)も結構見かけますが、とても勿体無いように感じます。

 

マンガ『お金持ちになれるかどうか分かるゲーム』

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このマンガの中で、お金持ちの彼女はゲームを通して何を伝えたかったのか、何を基準に判断していたのか、考えてみてください。

 

また、条件を変えて

100円と1億円ではなく、100円と1000円だったら参加者(もしくは自分自身)はどういう商品を選ぶのか」

「プレゼントではなく渡されたお金で自由に買い物が出来る場合、自分にとっては何が一番嬉しいか」などと、ゲーム内容を少し変えてみても、本来のゲームの主旨が分かるだけでなく、異なった考えや意見も生まれるかもしれません。

 

他にも、

「同じ条件で、『一番気に入った商品を買って来た人には、そのお釣りを賞金として渡す」

だったり、

「主催者が気に入らなかった商品は自腹で購入することになる」

なんていう、ゲーム性を強くした条件付けをすると、参加者の購入品や思考は大きく変わることになります。

 

そういった条件変更や追加をした場合は、題名にある「お金持ちになれるかどうか」だけを考えるのではなく、そのゲームをした時に、どんな変化が起きるのか、などを考えることも楽しいと思います。

 

例えば上記に書いた「賞金or罰金が発生する」条件の場合は、酷い争いになりそうです。

 

 

どれが良いとか悪いとか、正解といったものはありません。その代わり「何が人の心理や購入する物を変えるのか」を考えながら条件設定すると、自ずとこのゲーム自体のテーマが分かると思います。

 

賃金上昇や業務自動化では人手不足の解消にはならない!

日本で現在~将来にかけて大きな問題となっているのが、企業や店舗の『人手不足』です。

保育士や介護士、配送業などはニュースで度々報道されていますし、街中をあるけばスーパーもファミレスもコンビニも、アルバイト募集のポスターを大々的に貼っている店が目立つようになりました。

 

コンビニなどは特に近年利用客も増えているだけでなく、一人当たりの業務も増えたことから、賃金の上昇を希望したり、機械によるオートメーション化の導入を検討しているなんて話があります。

実際にローソンなどでは、オートメーション化の準備を着々と進めているようです。

参考記事

コンビニのレジ、ロボが会計 ローソンとパナソニック日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ12I6N_S6A211C1TI5000/

 

 

でも個人的には、賃金を上げても業務の自動化が進んでも、人手不足の問題はそう簡単には解決しないように思います。

 

 

・賃金上昇の弊害

 

コンビニのアルバイトは、その仕事量や種類の多さに反して、給与が低いと言われています。

安く雇われる理由としては様々な理由がありますが、その一つとして「誰でも出来る仕事だから」というのがあります。

実際、東京のコンビニなんかに行くと、日本語もままならない外国人がレジ打ちをやっている店がほとんどですから、あながち間違いではないのかもしれません。

 

賃金を実際に上げた場合どうなるのかと言うと、一時的に人手不足は解消出来るかもしれません。

ただ、例えば半径100m以内にコンビニ店舗が3つあったとして、その一箇所が賃金を上げたら、当然他の二店でアルバイトをしている人達は、そちらの店舗で働いた方が得だと考えます。

アルバイトですから、辞めやすい人から辞めていきます。新規でアルバイトを始めようとする人も、時給の高いコンビニへ行きます。

 

経営者は同じように賃金を上げるか、残った人手で何とか切り盛りするかの二択を迫られます。

しかし、人手が減って売り上げが下がることはあっても、人手が増えて売り上げが上がることはなかなかありません。

というより、売り上げは立地や駐車場の有無など、経営よりも土地などの影響の方がよほど大きいです。

 

賃金を上げられない店舗は働く店員がいなくなり、結果として営業が続けられなくなってお店を畳むことになります。

というか、今現在起こっている人手不足の問題がこの通りになっているんです。

 

就職氷河期ならまだしも、今はバブル期よりも高い有効求人倍率になっている、なんてデータもあるんです。

 

参考記事

有効求人倍率1.63倍 7月、求職者減り高水準続く:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL30HMA_Q8A830C1000000/

 

 

また、店舗数が減れば、当然利用客は既存の店舗に流れるようになります。

例えば3店舗合計で1日あたり200人が利用していたとします(数字は仮のものです)

1店舗平均66.6人だったのが、店舗が減るごとに上がっていくため、1店舗の売り上げは確かに上がりますが、それに比例して1時間あたりの労働量も増えます。

 

分業出来るような仕事ならまだしも、コンビニアルバイトのように、一定以上は人を増やしても意味がない(むしろ効率が悪くなる)仕事は、一人当たりの労働量を増加させるしかありません。

 

たとえ沢山のアルバイトを抱えていたとしても、労働量的に長時間や何日も続けては働くことが出来ないとなると、結局のところ、時給は上がっても月単位や年単位の収入はそんなに変わらないことになってしまいます。

 

無理してでも長時間働けるのは若い人の特権かもしれませんが、そういった人達は大抵学生やフリーターなので、平均勤続年数は低いため、要は店員が流動的ということになります。

そのため、経営者は店舗の売り上げが上がっても、新規のアルバイト採用や研修、管理などに追われることになるので、店員と同様に売り上げの分だけ労働量を増やすことになります。

 

つまり、

賃金(売り上げ):上昇

労働量:上昇

これって、状況は何も変わっていないんです。

 

 

・自動化すると、何が変わるのか

 

レジの自動化は中国のコンビニや、Amazonが手がける実店舗などで海外では既に導入されています。

日本国内でも、遅かれ早かれそういった店舗が増えていくのは自然の流れと思います。

 

コンビニ業務が自動化するというのは、単純に言ってしまえば「コンビニが自動販売機になる」ということです。

自動販売機になるということは、それまでの人権コストがいらなくなるだけでなく、店舗の大きさも縮小できるということになります。駅のキオスクなんかが分かりやすいかもしれません。

 

1つのお店が小さくなれば、開業リスクが下がりますので、今まで土地の広さや立地が理由で展開できなかった場所にもコンビニを建てることが出来ます。

 

利用者にとっては前より近くにコンビニが出来るのは便利なことです。

また、地主なんかも余らせていた土地を有効活用出来るので、投資材料の選択肢にもなります。

 

とはいえ、開業リスクが下がるということは、それだけ他の店舗も多くなるということです。

フランチャイズ店舗のコンビニは、他店との大きな差別化はなかなか出来ません。また自動化を主とした店舗であれば尚更です。

 

そうなると、ゲーム理論で言う「ナッシュ均衡」という現象が起こり、単純に言えば「100mあたりの売り上げが店舗ごとに均等に振り分けられる」結果になります。

 

店舗数が増えれば増えるほど、1店舗あたりの売り上げは下がっていきます。

先ほど書いたように、売り上げは経営よりも立地や環境に左右されるのですから、当然経営出来ないお店が出てきます。

1つのお店が潰れても、開業リスクは低いのですから、土地があればまた別な店舗が産まれます。

 

そういったように、店舗を経営するのではなく「店舗を何処に設置するか」という競争になってしまい、最終的にはどのお店も売り上げが最低限しか稼げない、という状況に陥ってしまうと考えられます。

 

 

また、オートメーション化と言っても、いきなり全ての業務が自動化できるわけではありません。

そのため、店舗数が増えれば増えるほど、機械では対応出来ない人の仕事は増えることになります。

 

例えば商品の配送業務は、まだ完全自動化するまで時間が掛かると思われます。

そうなると、配送業者の人は、何店舗も回らなければならなくなります。

そして配送業も深刻な人手不足となっています。

 

このようなことから、自動化して増えるのは店舗の数だけ、ということにすらなり兼ねないのです。

 

 

・どうすれば解消される?

 

Twitterでこのコンビニの話をツイートしたところ、このような意見を頂きました。

 

“例えば社員割引(割引率5%ぐらいからスタート)システムを適用したら働くことに旨味が出ますよね♪そして勤続年数に応じて割引率が増えるシステムだったら、定着率も見込めて人手不足の解消に効果的と思います”

 

一見良さそうに思えますが、これって年功序列そのものです。

「長く働けば働くほどお得」ということは、長く働かなければ損をする、ということになります。

社員割引率の増加率も、普通に考えればある一定の年数で鈍化するので、そこに差し掛かる前に辞める人も多くなるでしょう。

また、初めから社員割引がある場合は、アルバイトではなく割引目的の人も出るかもしれません。

そうなると「社員割引で生活用品や保存食を買い込み、アルバイト初日で辞める」なんて人も出てくるでしょう。

 

そういった結果、引き起こるのは「今以上に一人当たりの平均勤務日数は減少し、辞めるに辞められない人だけが残る」ことになります。

 

 

 

・じゃあどうすればいいの?

 

どんな方法を取っても、何かしら問題は起こり、きれいさっぱり解決という話にはならないと思います。

私なんかは人手不足解消のために、インスタ映えするような社員の制服や店舗にすることによって「そのお店で働いていることがアイデンティティになる」という、外的報酬よりも内的報酬に注力した方が良さそうに思っていますが、それこそチェーン店では現実的ではありません。

 

 

ただ間違いなく言えることは、どんな方法であれ、絶対に「得する人と損する人」が出てくるわけです。

賃金を上げた時に誰が損を被るのか、オートメーション化した時に誰が得するのか?

 

それを考えていくと、自ずと職業選択で失敗する確率を減らせるようになります。

苦労も努力もせずに偏食を克服した話

 

 

今も昔も私は病的なレベルの偏食であり、ほとんどの料理を食べることが出来ません。

学校の給食も、毎日ご飯かパンしか食べていませんでした。

 

親は「大人になれば自然と食べられるようになる」と矯正もあまりせずに育ててくれたのですが、大人になっても偏食はちっとも改善しませんでした。

 

ただ、三十を手前にしてようやく、食べられる物が増えるようになった、というより食事自体に興味を持てるようになりました。

 

 

別にそれは偏食を治すと誓って懸命に努力したわけでもなく、専門家や誰かからアドバイスを受けたというのでもなく、単に一人暮らしをして食費を浮かせようと思っただけです。

 

食べること自体に興味がないので、食費を減らすことはいくらでも出来たのですが、それではどう考えても健康に悪いです。

ただでさえ食べられるものが少ないのに、唯一の食事をケチってしまえば、冗談抜きで命に関わる話になります。

じゃあ食費を抑えながら健康な食事を取るにはどうしたらいいんだろう?と考えた結果「栄養価の高い食品を取るようにすれば、余計な物を食べなくて済む」という結論に至ったのです。

 

栄養価の高い食品、というより食材は生鮮食品が多くなるので、むしろ高価なものが多いですが、その分ムダな物を買ったり食べなくて済むので、トータルで見ると全体の食費としてはそれまでと変わらなかったりします。

 

 

というように、偏食を克服出来るきっかけは一応あったのですが、内容は言い訳みたいなものなので、全く意味がありません。

それよりも「どうして変わることが出来たのか」「他のことにも応用出来ないか」についてしっかりと考えた方が価値があると思い、記事にしました。

 

 

 

小学生の頃は給食がまともに食べられないので、クラスメイトや教師からともかくいつも様々なことを言われ続けていました。

 

・給食のおばさんが一生懸命作ってくれた物を食べないなんて、罰当たりだ

・ちゃんと食べなきゃ病気になって死ぬぞ

・貧しい国の人は食事もままならないというのに、贅沢過ぎる

・美味しいものが食べられないなんてもったいない、可哀想

・私も昔は偏食だったけど、嫌々ながら努力して何とか克服した

・いいから一口だけでも食ってみろ

・病院に行った方がいい

 

こういった決まり文句のような言葉は、耳にタコどころかクジラが出来るほど散々聞かされてきました。

 

でもこれらの言葉をありがたいと思ったことは1ミリも無いです。

どんなに人並みに食べられるようになっても、絶対に感謝することはありません。

むしろこういった説教や否定をされることから食事の場が嫌になり、食べること自体が嫌いになり、余計に偏食が治らないという悪循環を何十年と過ごしてきたからです。

 

 

百歩譲って、イヤミを言われるだけならまだマシなのかもしれません。

今でもはっきり覚えているのは、小学校3年生の時に隣のクラスの教師は食事に厳しく、完食するまでは昼休みどころか放課後まで残させていて、好き嫌いの激しい子にはその教師がそばにずっと付きっ切りで、吐きながらでも無理やり完食させていました。

もし自分がそのクラスになっていたらと思うとゾッとします。というか今そんなことをする教師がいたら大問題なんじゃ……

 

 

ともかくどんなに正論を言ったり、人格否定や脅迫をしても、当事者の改善にはならないどころか、悪化させる一方なのです。

偏食に限らず、海外の研究では「喫煙者にたばこを吸った時のリスクや病気を告げた後の方が、喫煙率や本数が高まる」なんて結果も出ているように、忠告は百害あって一利なしなのです。

 

 

 

自分自身が偏食の改善をしたのは、外部環境の変化によるものが大きいと思っています。

実家暮らしで親に料理を作ってもらったり、家にあるものを食べているようではいつまでも変わらなかったと思います。

また、外食だと当たり前ですが既に調理された食品が出てくるので「注文したはいいけど食べられない」事態になると、損するだけではなく周りに迷惑をかけてしまうことから、食べられるメニューしか頼まない、という選択しかしなくなります。

 

実家を離れたことで、自炊や自分で料理を決める機会を得て、食べたことのない食品にも興味を持てたり、料理が失敗したり食べられなくても自己責任だけで済ませられる、つまり失敗が許される環境なので、試行錯誤が何度も出来るようになりました。

 

これって要は環境変化によって「自分で考えたことや興味を持ったことを何度も試せるようになった」んですよね。

 

もしもこれが考えたことを提案したら却下されたり、文句を言われたり、失敗した時に怒られたり否定されたりしたら、それを最後にきっぱり辞めてしまうと思います。

 

あれ? でもそれって、勉強や仕事で当然のようにされていることのような気もするぞ……

 

 

 

私自身は偏食を克服したという達成感はなく、それよりも偏食の原因と対策が分かった感覚に近いです。実際まだまだ食べられない物は山のようにありますし。

原因は食事や料理に興味がない点、対策としては栄養素を参考に献立を考える点です。

 

そう考えるとやっぱり今まで散々言われ続けてきた説教やイヤミや押し付けの言葉は、的外れだったんだなぁ、と思います。

興味のない物を脅しや文句を言われながらひたすら押し付けられていたのですから。

 

とはいえ、私自身も無意識に同じような発言を他人にしているのかもしれません。

常識やマナーという後ろ盾を借りて、平気で相手を傷つけていたと思うと、複雑な気持ちになります。

 

 

もしも友人や知り合いに、偏食を始めとする普通の人とは違ったものをもった人がいた場合、それを矯正させようとするのは勿論、説教や心配をするのは逆効果です。

それよりも、周りからそういった反応をされて疲弊している相手に対して黙って手を差し伸べて上げる方が、よっぽど有難い気持ちになります。

 

私自身の場合は偏食に興味を持ってもらったり、それを話題として盛り上げてもらえるようなことは嬉しいのですが、そうではない人も多いと思うので、これは一概におすすめとは言えません。

 

 

一般常識と照らし合わせてみれば、偏食はおかしなことかもしれませんが、当人からすれば、それが当たり前で自分にとっては変えたくても変えられない性格のようなものなのです。

 

 

偏食で悩む本人の方は、どうか周りの言葉を鵜呑みにせず、自分を責めないようにしてください。

治るという言い方もおかしいですが、生活や仕事、環境の変化に合わせて、食事というものは大きく変わっていきます。

そうした中で、食べられなかったものが食べられるようになるチャンス、タイミングというものが訪れます。

そういった機会を逃さず、また焦らずにしていれば、ある日嘘のように食べられなかったものを食べられるようになります。

もしも食べられなくても、その時はその時です。まだ早いか、本当に食べられないかのどちらかです。

食べられなくても落ち込まないでください。この世には星の数ほどの食品や料理があるのですから。

 

 

周りに偏食の人や子供がいる人や親御さんは、まずはそれを個性だと思って受け止めてあげてください。

たとえ本人が本気で悩んでいたとしても、協力はしても矯正は絶対にしてはいけません。

悩んでいるということは、悩むようになった原因があるのです。その原因をきちんと捉え、その原因と向き合うべきです。

 

 

偏食は一般的なことでは勿論無いですし、無ければ無い方が良いことも事実です。

だからこそ偏食で悩んでいる人も多くいるかと思います。

そんな人が自分のように嫌な思いを受けないように、少しでも悩みが晴れれば、と思っております。

絶対に信用を産む/失う行為と信頼される条件

 

他人を信頼している状態というのは、接触回数や相手の素性、身なりといった表面的な情報で判断しているわけではなく、むしろ当たり前のように相手を無意識に信じていると思います。
企業の採用担当ならともかく、普通の人が「この人は信用項目の一定数を満たしたから信頼出来る!」なんてことはいちいち考えないはずです。


また、年齢を重ねたりいろんな人との交流を深めるにつれ「相手が信頼出来るかどうか」というのは、勘のようなものでぱっと見でおおよその傾向が掴めるようになります。
それを鵜呑みにして安易に疑ったり信じたりすることは危険ではあるのですが、それはそれとして、そういった勘のようなものは、何処でどう感じ取っているのか?、個人的には興味があります。


まず信頼の条件として、「絶対に信頼を産む行為/失う行為」というものを考えてみます。

 

○絶対に信頼を産む行為


・必要なものを無償で差し出してくれる

当たり前ですが、困っている時に手を差し伸べてくれた人には、誰だって感謝の気持ちだけでなく、一時的ではあっても信頼出来ると感じます。
また、それは助けられた本人だけでなく、その光景を側から見たり聞いたりした人にも伝わります。
ただし信頼『関係』が生まれるとは限りません。

電車でお年寄りに席を譲ったからと言って、その人との付き合いはどちらかが目的の駅で降りてしまえば終わってしまいますし、次にまた会う機会はまず無いと言っていいでしょう。
ネットで言えば、偶々目に入った無料の記事やコンテンツを手にしたからと言って、すぐにその製作者を信頼するわけではありません。大抵の場合は誰が作ったかも知らないままか、知っても忘れてしまうことがほとんどです。

 

●信頼を失う行為

・嘘や隠し事
ウソをつくことや隠し事は誰にでもあるはずです。ただそれを聞かれてもいないのにほのめかす行為をした時点で、信頼を大きく失います。
知らなければ無いものと変わらないのですから、隠し事がいけないというよりは「疑念を抱かせるような行為」が、信頼を失いやすいと言えます。


・借りた物を返さない
これもお金を始めとして借りる行為自体は誰しも必要な機会があるはずです。
ただ、返すアテがないものを借りた時点で信頼関係は切れてしまいます。


・利己的な判断
ゲーム理論でいう、公共財ゲームや囚人のジレンマが分かりやすい例です。

囚人のジレンマ
http://agora-web.jp/archives/2022117.html
公共財ゲーム‪https://www.weblio.jp/content/%e5%85%ac%e5%85%b1%e8%b2%a1%e4%be%9b%e7%b5%a6%e3%82%b2%e3%83%bc%e3%83%a0

短期的な関係であればあるほど起こりやすく、また頭が良い(ズル賢い)人ほどやりがちです。また、相手を負かして自分が勝つための手段を使ったり、競合相手であれば当然行われます。

 

このように両方の側面から考えてみると、信頼関係を産むというのは、

『長い付き合いを前提とした交友関係』

を意識することが一つの答えだと、私は思いました。


とは言っても、いきなり好きな相手に結婚を前提としたお付き合いをお願いするとか、定年退職まで勤め続ける覚悟とか、そういった表面的な話ではありません。

今後二度と会うことが無いような人(もしくはネット上だけの関係の人)に対して横暴な態度を取ったり、その場限りの関係を築くために嘘を付いたり見栄をはるような行為をしない、ということです。
でもこういうこと、日常的に至るとこで見かける気もします。
それぞれやむを得ない事情があるのかもしれませんし、それを他人が指摘したところで、何の解決にもなりません。
逆に言えば、そういった行為が当たり前の場所で、素直で誠実な行動を取るだけで、大きな信用を得ることが出来るのです。


結局のところ、信頼するかしないかは、自分自身の裁量に掛かっています。
些細なことでも「裏切られた!」と思えばそれは信頼を失うことになりますし、逆も然りです。
何でも許容出来る心を持て、というのではなく、信用できるとか裏切られたとかいちいち判断せずとも、他人の信用を犠牲にしてやり繰りしている人とは、自然に距離が遠くなるか、首が回らなって相手から遠ざかっていきます。

どうしようもない状況に置かれた場合、どんな人でも信頼を大きく失う行為に出てしまってもしょうがないと思います。リスク分散をすることで全体的に見れば損失を下げられるケースも多くあります。
相手がそういった「事故」によって信頼を失った場合、自分自身が「裏切られた」と感じて関係を疎遠にしてしまうのは、とてももったいない事です。

 

私の周りでも信頼出来る人というのは、期待に必ず応えてくれる人や絶対に裏切らない人よりも、もっと単純に「この人とはいつまでも付き合いが続きそう(続けていたい)」と自然に思える人です。

どういった人がそういう風に思えるのかと言えば、これはかなり抽象的で「一緒にいると落ち着く」「素直な気持ちでいられる」「楽しい」と言った、感覚的なものがほとんどです。


SNSを始めとして、自分自身の考えや内面を見せられる場が多くなった今、友達や恋人、仕事で信頼してもらえるようになるには、スキルや実績や数字をアピールするのではなく、相手に安心してもらえるような誠実な人であること、なのかもしれません。

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