micorunの自己紹介

自己紹介を長々と書きました。

26 バズりを客観的に見てみると

twitter.com

自分のバズったツイート(リツイートまたはいいねが一万件以上のもの)を、後々PRとかする時用にモーメントにまとめてみたのですが、思っていた以上に少なかったです。

というよりは、『頭の良い人と悪い人の違い』のパロディが沢山流行っていた時に、それらが簡単に何万件ものいいねやリツイートをされていたので、感覚が麻痺していたのかもしれません。

自身一番最初のバズりだった『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』が沢山リツイートされた時は、それこそ夜も眠れないぐらいだったのですが、数字だけで見てみれば、特に最近のtwitterのトレンド入りするツイートの平均数だと決して高い数字ではありません。

また、頭の良い人と悪い人も流行っていた時は「どれが元ネタか分からない」状態だったので、数字としての伸びはそんなに大きくありませんでした。

他にも
・最もリツイート、いいね共に稼いでいるのは楽天マリオカートの動画
・ツイート数で言えば、半分近くがこの一ヶ月にツイートしたもの

などと気付くことが出来ました。


頭の良い人悪い人のキャラクターを使ったストーリー性のあるマンガを描いていた時期もあり、フォロワーからの評判は良かったのですが、twitterではリツイートといいね数は少なく、最大でも1000件ぐらいだったと思います。逆にpixivでは閲覧数はイラストによる違いの説明と閲覧数は大差なく、むしろストーリー性のあるマンガの方が総計は多くなっていました。

もちろん労力としてはストーリーマンガの方が断然掛かるので、数字だけに注目すると、拍子抜けしてしまう面も否めません。


頭の良い人と悪い人のキャラクター性をさらに高め、同人イベントなどで頒布するのが王道というか安定した収入源にはなりそうですが、私自身は別にそういう目的で頭の良い人悪い人を描いたわけではないのと、同人作家のような仕事はやりたくない(リスクが大きいのが理由)ので、あんまり乗り気がしません。

キャラクター事業を行なって、店頭に自身の作品として並べられるのは嬉しいかもしれませんが、日本国内には星の数ほどキャラクターが存在するので、そんな一時の利己的な満足感を得るために、わざわざコストをかけて増やさなくてもいいんじゃないかなぁ、と思う次第です。


それよりもtwitterのバズりの本質である「迅速な拡散性」と「情報密度の追求」の方が楽しく、投資対象としては今後有利になる(気がする)ので、プチ贅沢するために何年もかけてキャラクターで金銭を稼ぐより、twitterを利用し続ける方が効果が高いと思えます。

また、イラストには統一性や作家性はあっても、差別化出来る要素が少ない(簡単に言えば、すぐにパクられやすい)ので、今後は絵を売るよりも、思想や人物像をもっと表現していきたいと思っています。


遅れた新年の抱負のようになってしまいましたが、今年もまた、色々と面白いことに挑戦していきたいです。

0j デッサンとデフォルメ

漫画やアニメの面白さ、オリジナリティ、好みなどはデッサンとデフォルメの比重にあります。

 

デッサンとは、写実的、現実的、物理法則や理論に則っているという意味で、リアリティーのある表現になります。
デフォルメは、抽象的であったり、デザイン性、簡略的、別解釈や表現技法の変更などによる、対象の意図的な変化を意味します。

これらは絵に限った話ではなく、漫画で例えるならストーリー、コマ割り、ジャンル、キャラクター、心理描写、絵柄や台詞回しなど、全ての要素に当てはめることが出来ます。

また、デッサンとデフォルメのどちらが優れているかという話ではなく「どちらの表現が優先されているか」という視点で見た方が、色んな作品を見ても楽しめるようになると思います。

 

実際の作品を例に挙げてみると『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメは舞台設定やエヴァを除く軍事兵器、オペレーションなどはデッサン的でリアリティーがありますが、エヴァや使徒などは、その強さや仕組みがかなり非現実なのでデフォルメされていると言えます。
この現実と虚構を上手く折り合わせたり、作品展開として活かすことが面白さに繋がると思っています。
今はエヴァよりもシン・ゴジラの方が分かりやすいかもしれません。

また、同じエヴァンゲリオンでもアニメ版と漫画版では違い、漫画版では舞台設定や兵器の描写はアニメそのままに近いので、比べてしまえば見劣りしてしまいます。
しかしキャラクターの内面や心情は、アニメよりもマンガ版の方がかなり濃く描かれていて、登場人物への感情移入のし易さは、マンガ版の方が優れています。

 

他の作品を挙げると『賭博黙示録 カイジ』だと、人物絵の描写は勿論強いデフォルメですが、黙示録だけにおいては全体を通して心理描写はかなりデッサン的であると言えます。

特に人間競馬の話での、前の相手を押して落とすかどうするか、というカイジ自身の善と悪の葛藤のシーンは、言葉には出来ない心の奥の闇がグロテスクに表現されていて、そういう意味では後に続く電流鉄骨渡りよりも恐ろしく思えます。

逆にデッサンとデフォルメが上手く噛み合わない例で言えば、賭博堕天録での兵頭和也が持ち出した、借金の支払いの代わりに人間の部位を切るルーレットを持ち出すシーンなんかは、内容としては恐ろしいですが、それを和也が行う理由として「金持ちの変態だから」という理由しかなく、本来はデッサン力のある表現(ここでは説得力)が必要な場面に、内容の薄いデフォルメが用いられているため、他の話に比べれば恐怖感があまり伝わってきません。


このように、本来はデッサン的に表現するべき場所でデフォルメ表現をしてしまったり、その逆の表現をしてしまうと、読者との間に齟齬が生じてしまう原因になります。

あくまで個人的な解釈なので、これが正解だとか絶対的なものではありません。


これは作品を読むのは勿論、選ぶときにも有効に使える見方で「この作品は、ここがデッサン(デフォルメ)なんだな」と判断しながら見ていくと、より一層作品の表現を素直に受け取ることが出来るようになります。

漫画の読み方が下手な人、アニメを見るのが下手な人は、大抵このデッサンとデフォルメの視点が間違っていることが、理由の一つとして挙げられます。

分かりやすく言えば、機動戦士ガンダムを見て「こんなロボットが飛び回れるわけないじゃん」と感想を述べることです。
これは言っていることは正しい(デッサン的)が、描かれているのはSF(デフォルメ)だからです。
デフォルメを楽しむべき部分で、デッサンを求めたり視点を置いてしまえば、誰でもくだらない、つまらないものと思えてしまって当然の話です。

どこにデッサンを求めて、どこがデフォルメであって欲しいかというのは人それぞれ好みによって違うので、自分の好みを判別しておけば、好みの作品を見つけやすくなったり、好きな作品の傾向も分かるようになるかもしれません。


また、これは作る側の立場でも言えることです。
自分の得意としているもの、表現したいものや要素、デッサン寄りなのかデフォルメ的なのか、それらを意識して作品を構築していくだけでも、テーマがはっきりしたり、作品の魅力が上がるきっかけになると思っています。
(私自身もこの方法で自己分析をしながらこの記事を書いています)

pixivの講座には、絵のデッサン力を上げるものがかなり多くありますが、絵としてのデッサン力の高いスキルを持っている人は無数にいて、既にコモディディ化(当たり前と言えるぐらいに増えすぎてしまっている)しているので、それよりも付加価値を付けられる部分のデッサン力を高めたり、デフォルメを磨いていった方がいいと個人的には思います。

0i クソリプ耐性をつけるには?

『頭の良い人と悪い人の物の見方の違い』が二度目のヒットをしてから、誹謗中傷というより粗探しやクレームをつけてくるようなアカウントは激減しました。
元々そういうクソリプは文章の長さでだいたい分かるので、最初の数文字で判断読まないように意識的に避けていたのですが、読んでも大抵は中身がないものが多かった覚えがあります。


「そんな炎上と晒し上げとクソリプに耐えられるなんて、どんな図太い精神力を持っているんだ」と身内にもtwitter上でも言われますが、別に自分は精神も弱いですし、嫌なことを言われたら普通に傷付きます。
ただ、すごい忘れっぽいことと、プライドが低いのが多少影響しているのかもしれません。


知り合いにも「あの時あの人にああ言われて…」みたいな愚痴をよくする人が結構いますが、よくもまぁそんなことを覚えていられるなぁ、と感心してしまいます。
ただ記憶は想起する(思い出す)とより一層記憶として定着しやすいという性質があると本で読んだことがあるので、色んな人に愚痴っているからこそ、変な言い方ですが「傷ついたワードコレクション」がどんどん充実していってしまうのかもしれません。


あとプライドが高い人も、例えば知らないアカウントに「バカ」とか「ヘタクソ」と言われると、途端に相手をRPGの魔物のように敵対するようですが、私はそういう気持ちになる感情の仕組みがよく分かりません。
バカと言われて腹が立つのなら勉強すればいい話ですし、絵が下手だと言われて気にするようなら上手くなる努力をすればいいだけです。

 

少し前に私のピアノの演奏動画を聴きたいという人がいたので、聴いてもらったところ「リズムがグチャグチャ。もっと練習しなきゃダメよ」と言われ、その瞬間は「クソが」と思ったのですが、確かにその人の言う通りリズムはお世辞にも良いとは言えず、演奏を見直すきっかけとなりました。
その後も練習をしている最中にふと言われたことを思い出すと、自分では完璧だと思っていたフレーズが、実は全然出来ていなかったというように客観視出来るようになったため、感謝はしたくないけれど成長に繋がったことは事実です。

 

つまり、クソリプも物によっては客観的に見るチャンスとも言えます。


特に私の作品を「嫌だけど見てやる」ような人のコメントは、実は的を射ていることが多く、ムカついたりショックを受けることよりも、ハッと気付かせてもらえる機会の方が多いのです。

そういう意味では、最近はクソリプが減ったと同時に率直な感想をくれる人が減ってしまったことも、少し寂しいのが事実です。
私自身は漫画やツイートを通して価値観を強要したいのではなく、多角的な視点を持ちたいと思っています。
「○○はこうであるという俺は正しい!」などと主張しているのではなく「私にとって○○はこうである! あなたはどう思う?」というニュアンスに近いです。
そのため、否定は客観視できるきっかけになるのですが「そもそも○○は〜」のように話が逸れたりするのは中傷目的に書かれていなくてもつまらないことが多いです。

逆に大御所芸人のように、毒舌やひどいことを言いながらも当人を持ち上げられる人、その中傷に笑いを誘える人は言われる側でも面白いですし、視点の変化という意味でもとても参考になります。


結局は「自分がその発言をどう受け止めるか」で薬にも毒にも変わると思っているので、だったら面白い方向、自分のためになる方向に考えた方がいいよね、という気持ちが結果的にクソリプに対する処世術になっているのかもしれません。

0H 過去の暴露は恥ずかしい?

僕がツイッターを始めたのは大学生の頃だったので、今のようなtwitterの使い方をしていないのは勿論、当時はオカマ関係のイベントによく参加したり、その界隈の知り合いも多くいたので、『私が大好きなアニメが見れなくなった理由』がバズった時には、過去の私のツイートを遡り、週刊誌のネタのようにその当時のツイートを晒し上げて暴露大会になっていた(っぽい?)そうです。

確かにフェティッシュな内容を当たり前に呟いていた覚えがあるので、普通の人ならとても恥ずかしいことだったのかもしれません。
ただ私は女装をしていたとか、オカマが集まるイベントで遊んでいたというのは家族も友達も知っている(というか自分で話していた)ことだったのと、以前同じように幼馴染の知り合いに、ツイートを元に仲間内で晒し上げられた経験があったので「あぁ、またか」と思ったのが正直なところです。


多分他人の恥ずかしい話というのはメシウマのような幸福感があるのかもしれませんが、私自身が自分の過去も他人の過去もどうでもいいと思っているので、むしろそんなことで盛り上がることが出来るのか、と驚いた面もありました。
でも考えてもみれば、テレビでは芸能人の不倫を犯罪のように取り上げ、週刊誌も表紙や見出しに大きく他人の問題を書いているあたり、思っている以上にメシウマ好きな人は多いのかもしれません。

私は性的マイノリティについて、差別意識も無ければ劣等感みたいなものもないのと、ニコニコ動画でネタになるガチホモのような関係も持ったことが無いので、ここでもまた、自分と他人の間に大きなズレがあったように思えます。

0G アカウントとプライベートが離れていく

去年にtwitterでバズった時は自分自身が注目されたかのように大喜びしましたが、それ以降はあまり自分自身という感覚はかなり薄くなってきていて「micorun」というアバターを操作出来る立場、という感覚に近いです。
言うなれば、micorunはゲームの操作キャラクターで、私自身はコントローラーを握っているだけ、というニュアンスです。


作品が一人歩きするのとは別に、アバターであるmicorunが何をしたら面白いか? micorunにどういう漫画や作品を提供して欲しいか?ということを考えながら少しずつ行動出来るようになってきました。
micorunを演じているという感じでもなく、アバターに対する思い入れも当然ありません。
ネットで誹謗中傷を受けたり、バカにされたりしても平気なのは、こういう面も影響しているのかもしれません。
スーパーマリオのゲームをやったことがあって、マリオのキャラクターが散々貶されても傷付いたりしないような感覚です。

 

私のような性格からすれば、「俺のプライドが許さない」とか「私カワイイ」とか、そういう強い自分を持っているのは羨ましくも感じます。しかし市場という観点からすれば、他人のプライドなんて知ったこっちゃないし、自分をカワイイと思っている人よりアイドルの方が可愛くて当たり前なのです。
特にネット上ではそれは顕著で、SNSの使い方の大きな分かれ目でもあると思います。


診断メーカーや流行のハッシュタグなんかは、やっている人は面白いのでしょうが、タイムラインを共有している人からすれば、興味も無ければ結果も面白くも何とも無いのです。
他にもソーシャルゲームの当たりを引いた画像や、アニメのリアルタイム実況など、やるのは個人の自由ですが、そういう呟きしかしていない見ず知らずの他人のアカウントは、客観的に見ればフォローする意味がありません。

最近は何万何十万リツイートというツイートも多く見かけるようになりましたが、一つのツイートで大きな閲覧数を得ることは容易になっても、フォロワーを増やす(価値あるアカウントとして認識してもらう)難しさは、さほど変わっていません。

多くリツイートされた時に爆発的にフォロワーが増えることはありますが、それでもアカウントとして価値が無ければ、その数値は流動的なものです。
フォロワーを増やすためにプライベートとアカウントを分けているというよりは「いつ誰が見ても良いアカウント」にすることを心がけています。


これを普通にやるとなると、大抵の場合SNS疲れのように、言いたいことも書けなくなり、SNSそのものを放置してしまうか、辞めてしまうことになると思います。
それでも続けるコツみたいなものは無いというか、そこまでしてやるのなら、別なことをした方が精神衛生上良いです。


私個人としてはtwitterが肌に合っていること、日本国内では広く普及していること、拡散や結果の繁栄が速いなど、やっていてメリットが沢山あるので続けています。

SNS疲れのようなものはあまり感じませんが、結構身近な友達が知らない間にフォローしていることが最近になって増えてきたので、発言には気をつけるようにはしています。
そのようなケースはフォロワー数に関わらず結構あることで、そういった点からもアダルトな内容、下品な下ネタなど、身近な人には見せられない内容は避けた方がいいと思ってます。

最初にバズった時に驚いたのは、何万個とある私の過去のツイートを、一日掛からずに全て読んだ人がいたことです。
何かツールを使ったのかもしれませんが、その執念というか集中力をもっと他のことに使えばいいんじゃ……と思ってしまいました。